泣きながら、撤退同盟

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言葉で伝えられない

2011-10-29 | 自分のこと載せますた
昨夜は近くの教会へ行って、前夜式に参列してまいりました。


前夜式というのは一般で言うところの「お通夜」にあたります。

教会には故人に係る色々な方が参列されており、また読経が響かない教会では、賛美の歌とともに、故人を良く知っておられる方が故人との思い出を語ってくださいました。

わたくしめももちろん故人の事を存じ上げておりますが、わたくしめの場合は故人よりも故人の親族との付き合いの方が多かったので、
席上で語ってくださった方ほど知ってはおりませんでした。
ですので、あらためて故人を良く知る機会となりました。


そこで思ったのが、
もし身内に亡くなった者が出た場合、自分はどう語れるのだろうか、
ということでした。


自分が死んだ時の評価は、
もう死んでいるので、勝手に残った人が評価してくれればいいと思うんだけど、
(悪い評価だろうが良い評価だろうが、どっちみち聞くことは出来ないし

もし、自分の親族に亡くなった者が出た場合、自分はどう語ることが出来るのだろうか、
故人を尊ぶとかそういうことではなく、率直に何を語ることが出来るのかなあ、
と思わされたのです。


葬儀の場では何も語らないという選択肢もあるとは思います。
しかし、いつかは語るときが来るわけで、
そのとき
自分は何を語ることが出来るのだろう


妻や子供
両親、兄弟
親友、仲間

そういった一人一人に掛ける言葉とは、一体なんなんだろうか。


たとえば、夫婦喧嘩をしたことはこのブログにも以前書いたけど、
そういうことも含めて妻を愛していることは間違いない訳で、
それでその、妻本人に掛ける言葉ではなく、妻の事を公に語る言葉の難しさ、
どう表現したらいいのか
言葉なんて表現方法で伝達するには限界があり、そんな齟齬が発生するようなコミュニケーション手段ではなく、
もっとこう、バババ~ンっと伝えたい!
と思うんです。


だからこそ、言葉を選ぶことは、大切なんだよなぁ、
と思わされた夕べでした

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