泣きながら、撤退同盟

このブログの半分は、薄情でできています。。。

和解ちから

2016-02-26 | クリスチャンらしい話です
冬来たりなば。。。。。まだ寒いですねぇ~



さて、先日こんな質問が来ました



NHKはweb記事を大体3日ぐらいで消してしまうので、
何の記事かというと、こういう記事だったりします。

キリスト教:ロシア正教会総主教とローマ法王会談・和解へ - 毎日新聞:

 ロシア正教会とローマ法王庁は5日に声明を出し「長い準備をかけた会談は歴史上初となり、双方の関係が重要な段階に至ったことを示すだろう。全ての人にとって希望の兆しとなることを願う」と表明。会談では中東やアフリカで強まるキリスト教徒への迫害対策が主要議題となり、共同宣言に署名する。

 両教会は中東で勢力を広げる過激派組織「イスラム国」(IS)などに対抗するため、連携に踏み切った。プーチン露政権にとっては、シリア領空爆を通じて中東外交を強化する中、両教会が現地のキリスト教徒迫害阻止をアピールすることはプラスとなりそうだ。

 ロシアでは1991年にソ連が崩壊した後、ロシア正教会の影響力が復興。正教会側には旧ソ連諸国でのカトリックの宣教拡大に対する反発が根強く、関係改善は劇的には進まなかった。現在もウクライナで反露姿勢を強めるカトリックの一派、ユニエイト教会の問題が残る。



ローマ法王、ロシア正教総主教とハグ 分裂以来の初会談:朝日新聞デジタル

東西教会は1054年に教理論争などにより分裂。各地の正教会の中で最も信徒が多いロシア正教会との和解に向けたトップ会談は歴代法王の悲願だった。法王は会談の冒頭、総主教と抱擁してあいさつを交わし、「ついに会えた。私たちは兄弟だ」と語った。会談は空港内の一室で約2時間にわたり行われた。
 会談後、両者は中東などで続く過激派によるキリスト教徒迫害やテロに対し、国際社会の緊急対処を呼びかける共同宣言に署名した。



ローマ法王が露正教最高位と会談、1054年の東西分裂後初 本格和解へ、「ISの脅威」で一致 - ライブドアニュース(産経新聞

 キリスト教は11世紀に教義の相違などから東西に分裂した。共産主義国の崩壊後、東欧をはじめ旧ソ連圏でカトリックが影響力を拡大。特にウクライナでの布教をめぐってロシア正教会側が強く反発してきた。

 ローマ法王と、ロシア正教会を除く東方正教会側との間で、融和に向けた動きもみられたが、結局進展しなかった。1997年には法王とロシア正教会総主教のトップ会談がいったんは調整されたものの、中止になったこともあった。

 法王フランシスコとキリル総主教は、キリスト教徒がイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)から迫害されている問題などについて、約2時間にわたって協議。両者が署名した共同宣言は「教会も攻撃や略奪の対象となっており、神聖なものが冒涜(ぼうとく)されている」と強調した上で、テロ撲滅に向けた国際社会の取り組みを求めた。

 総主教は署名後、「2つの教会は今日、世界のキリスト教徒保護のため積極的に協力できるようになった」と述べて対話を継続する姿勢を見せ、法王も「兄弟のように話した」と語った。両者は抱擁して頬に口づけを交わした。

 東西の教会の教義に対する見解の相違やわだかまりは依然大きい。今回の会談でも、ウクライナでの布教をめぐる対立を棚上げし、イスラム過激派によるキリスト教徒迫害といった両教会の共通課題への対応を優先した格好となった。



カトリックとロシア正教は、なぜ和解するの? - まぐまぐニュース!




あたしは、カトリック教徒じゃないので、
べつに答える義理は無いんだけど

なんだかんだと聞かれたら!答えてあげるが世の情け!


1)バチカンは、間違いなく現状のイスラム勢力を敵対視している


保守記事.80 また、余計なことを。。。
保守記事.80-2 まったく、最初から言わなきゃ良いのに



2)イタリアとロシア正教は、だいぶ前から仲が良かった


伊の聖ニコライ教会、露に返還 両大統領が式典出席 : クリスチャントゥデイ

2009年3月2日19時55分

 ロシアの最後の皇帝であるニコライ2世が建築し、その後イタリアのムソリーニ政権が事実上没収していたイタリア南部バリの聖ニコライ教会が1日、ロシア政府に返還された。返還式には、イタリアのナポリターノ大統領と、ロシアのメドベージェフ大統領が出席。ナポリターノ大統領が教会の所有権を象徴する鍵を手渡した。共同通信が伝えた。

 同教会はサンタクロースのモデルとなったと考えられている聖ニコライ(=ミラのニコラオス)を記念して、遺骨が埋葬されている同地に1920年に建設された。しかし、反共産主義のムソリーニ政権が1937年に強制的に買収し、それ以後はバリ市が管理していた。

 教会の返還はプーチン元露大統領時代の07年に要請され、すでにイタリア政府とローマ教皇庁(バチカン)が承諾していた。式典は当初、昨年12月に行われる予定であったが、ロシア正教会のアレクシー2世前総主教が同月に死去したため、この日まで引き伸ばされていた。



3)ローマカトリックと違い、東方正教会では「ローマ法王」のような代表者はいないので、ロシア正教の指導者と会合を持っても、東方正教会全てと和解したことにはならない


(東方正教会は、国ごとに自治教会が建てられているから)
正教会の最高指導者は誰ですか?:正教会(ギリシャ正教:東方正教会)・ニコライ堂について よくある質問

名誉的なトップと言える方はいらっしゃいます。コンスタンティノポリ全地総主教(コンスタンディヌーポリ全地総主教)です。現在のコンスタンティノポリ総主教はワルフォロメイ1世(ヴァルソロメオス1世)聖下です。コンスタンティノポリ総主教は「全地総主教」の称号をお持ちであり、9人いらっしゃる総主教の中で筆頭の格を保持され、全正教会の精神的指導者とされています。

ただ、ローマカトリック教会の最高指導者であり、ローマカトリック教会全体に対して絶対的な権威・権限を持つローマ教皇のような存在を想定してこのような質問をされる方が多くいらっしゃるのですが、正教会には全正教会に対して絶対的な権威・権限を持つ唯一人の指導者というのは存在しません。コンスタンティノポリ総主教といえども他の総主教の方々と同様、公会議の決定事項には従わなくてはなりません。

全教会の首(かしら)は、主イイスス・ハリストスなのです。



4)東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の首都コンスタンティノポリスを襲った第4次十字軍以降に行われた、東西教会合同の礼拝は、東ローマ帝国滅亡前に、ローマ法王の名代とコンスタンティノポリ総主教とで行われている歴史的事実


ソースはこちら

フィレンツェ公会議 : Wikipedia

オスマン帝国の圧力を受けて、西ヨーロッパ諸国からの支援を求めていた東ローマ帝国皇帝ヨハネス8世パレオロゴスは東西融和の一環として東西教会の分裂の収拾を提案した。西方教会でもこれを歓迎する機運が高まっていたが、この話し合いを行うための場所をめぐって、バーゼルの公会議参加者と教皇側の間の議論は紛糾した。

カトリックの公会議史上はバーゼルでの会期をあわせて第17回公会議(バーゼル公会議1431 - 1445年)とされる。この会議を公式のものと認める東方の教会の数え方では第8回公会議。ただし東方ではこれを公会議と認めない教会も多い(現在のコンスタンティノープルの正教会、ロシア正教会など)。



5)最近の東西教会の和解の例としては、2006年コンスタンディヌーポリ全地総主教ヴァルソロメオス1世とローマ教皇ベネディクト16世が合同礼拝を行っている


東西教会の分裂 //近代以降:和解への道のり : Wikipedia


6)ローマカトリックは、2000年前から、政治駆け引きには長けている





ということで、わたくしめの見解は、

「歴史的」でも「和解」でもない!

ただのパフォーマンス(誰かに向けた
ということになります。



問題なのは、それは、
バチカンが誰を助けようとした援護射撃なのかしら。。。。。。

というところかと

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