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いざ、鎌倉

2009-03-02 | 趣味:オススメリンク有り
来週鎌倉に行く予定なので、いろいろ調べてみた。

いまさらだけど、鎌倉の予習:
時は平安時代。
康平6年(1063年)鶴岡八幡宮(元八幡)の社殿を、
相模守の源頼義(よりよし)が造営。
治承4年(1180年)源頼朝が鎌倉に入り、
武士による武士のための政治を開始。
頼朝死後、妻政子の実家北条氏が執権として政治の実権を握る。
築港である和賀江島(わかえじま)を通じて諸外国との交易も盛んに行われ、
禅宗、禅宗様建築、仏像彫刻、彫漆など様々な中国文化が。
大仏の造立、建長寺や円覚寺など禅寺の建立が盛んに。
元弘3年(1333年)新田義貞に滅ぼされた。
その後、足利尊氏が京都に室町幕府を開き東国10ヶ国を治める鎌倉府が出来る。
室町幕府と鎌倉府が対立し、足利成氏の失脚により寂れてしまう。
江戸時代に社寺が復活。
徳川光圀(水戸黄門)が「新編鎌倉志」を編み、観光地化。

創刊号から定期購読しているflowersに掲載、
吉田秋生:海街diaryはオススメ。
三姉妹に母親違いの妹すずちゃんの家族物語。
やっぱ良い話を描くなぁ。
→2007年文化庁メディア芸術祭 優秀賞

小学館コミック-flowers 吉田秋生インタビュー

「ラヴァーズ・キス」の江ノ島のシーン良かったなぁ。と、反芻。

鎌倉市観光協会ベストコースガイド

鎌倉市観光課

鎌倉ぶらぶら

鎌倉宿泊ガイド

鏑木清方記念美術館
JR横須賀線・江ノ電「鎌倉駅」下車、小町通りを北に徒歩7分左折。

鎌倉芸術館
ギャラリー:2009年2月24日(火) ~2009年3月10日(火)
鎌倉名誉市民 平山郁夫展「東西文化交流の道シルクロードの旅」
入場無料
JR大船駅から徒歩10分

やっぱ、江ノ島もいいよね。
ってことで、水族館と温泉。

新江ノ島水族館

江の島アイランドスパ えのすぱ

↓宿候補 予約情報みてみて。
紀州鉄道片瀬江ノ島ホテル 詳細ーじゃらん

湘南江ノ島海岸のホテル 紀伊国屋旅館別館 ほてる彩夏

~~~~~~~~~~~~~
私信:
●電車時刻メモ

◆宇都宮8:24→湘南新宿ライン・グリーン車利用→大船11:03着
鎌倉芸術館
ギャラリー平山郁夫展「東西文化交流の道シルクロードの旅」入場無料
JR大船駅から徒歩10分

大船→鎌倉電車移動
鏑木清方記念美術館¥200
JR横須賀線・江ノ電「鎌倉駅」下車、小町通りを北に徒歩7分左折。

江ノ電で散策後ホテルにチェックイン

◆次の日行程
新江ノ島水族館¥2,000

鎌倉発16:10→湘南新宿ライン・グリーン車利用→宇都宮着18:54

「青春18きっぷ」5枚つづ¥11,500
グリーン車平日51キロ以上 ¥950(車内料金は1,200)
江ノ島電鉄:のりおりくん¥580
江ノ島電鉄:エスカー割引券¥350→¥310
鎌倉フリー環境手形(拝観料・入場料割引あり)¥550
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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
段葛 (ほの)
2009-03-03 22:07:34
なんでも、その昔、雨が降ると若宮大路がぬかるみのようになったので、通りの中央に馬で通れるプラットフォームを拵えたのが段葛の始まりだそうです。
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道路の真ん中 (uoco)
2009-03-05 21:14:33
★ほのちゃん
段葛は遠近法が使われているってのが面白いね。
東照宮の参道も遠近法が使われていたなぁ。
甘味処も要チェキなので、行ってみたい~。
縁石を兼ねる葛石を画像ぐぐりしてみた。
なるほど。昔の職人さんが組んだ石組みは見事だね。
返信する
いざキャバクラ (ほの)
2009-03-05 22:07:36
足利家の通字(その家で代々の名前に使う共通の漢字)は「氏」なので、初代将軍は尊氏ですが、その後の将軍は源氏の長者として清和源氏嫡流の通字の「義」を使うことになり、分家の関東公方家(本当は関東管領)が「氏」を使うことになりました。
ところが、持氏は幕府の権威の低下に乗じて、自分の子供に「義」の字を使ったりして挑発し、それが永享の乱という争乱に発展します。
持氏が程なく死んで乱は収まりますが、その後春王、安王という遺児を擁し、奥州まで巻き込んだ結城合戦が起こります。
その後、京都から新たな公方が送られますが、鎌倉入り出来ず、伊豆にとどまり堀越公方と呼ばれ、一方の元の公方家は古河に引き移って城を構え、古河公方と呼ばれ、公方館は八犬伝の舞台にもなっています。
地理的には、小山氏や結城氏などの北部勢力の前線が古河で、鎌倉勢力の前線が江戸くらいだったんじゃないかと思います。
鎌倉の方は、公方の家来だったはずの関東管領上杉家が、扇が谷上杉と山の内上杉に分かれてしのぎを削り、そのあおりで上杉の家宰の太田道灌が暗殺されたりしています。
と、適当に酔った勢いで書いているので、いい加減ですが、関東もなかなか面白い歴史が転がっています。
返信する
関東公方 (uoco)
2009-03-06 18:45:50
★ほのちゃん
この前行った古河が花桃の里っていう特集を読んだんだけど、
古河公方の話を思い出したよ。
里見八犬伝の縁の地ってことで、いつかじっくりと散策してみたいなぁ。
古河藩主だった土井大炊頭利位(としつら)の雪の結晶研究が気になる。
「雪華図説」の文様の細かさに驚愕。
江戸時代にどうやって結晶を調べたんだろう?
顕微鏡は当時あったのかな?
なんて、いろいろ思いを馳せてみた。
返信する
土井の殿様 (ほの)
2009-03-06 22:54:26
そういえば、家康が川筋を変えてしまったので、今では古河で川に落ちると銚子に流されますが、八犬伝ではディズニーランド近くの行徳に流れ着きますね。
雪の話は、ぼくも某国営放送の三番で見ましたが、実は桃を植えたのも土井の殿様で、古河へいくと土井の殿様が今でも敬意を持って語られることがあります。
江戸後期にはすでにオランダ製の高性能の顕微鏡も入っていたはずで、薩摩の島津重豪なんかはかなりのオタク収集家で、藩の財政を傾けたほどです。
ちなみに、古河公方家は戦国期に衰微したものの、秀吉が滅亡を惜しんで取り立てて、江戸期には喜連川氏五千石ながら足利の嫡流として十万石並みの扱いを受けていたそうで、維新後は足利氏に姓を戻しています。
返信する
顕微鏡 (uoco)
2009-03-07 21:59:35
★ほのちゃん
そか~。意外と古い時代から日本には顕微鏡があったのね。
家紋の文様にも雪華模様があったような。
返信する

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