浦安ソフトテニスジュニア

ディズニーランドで有名な、千葉県浦安市のジュニアソフトテニスチームです。
クラブの目標は「二人で一本!」

故郷が増えました3

2011-11-01 23:33:44 | 管理人の部屋
角田市(H2ロケットを作ったらしい)を抜けて山側から海を見渡せる一本道を走りました。途中津波で破壊された家が並ぶあたりになると人がいない。気づくと常磐線山元駅まで来ていました。



言葉を失うとはこう言う事なのか。パンダ夫と会話も無くただひたすら町並みを見つめていました。おそらく考えていた事は同じだと思います。人々の生活が、日常が3月11日から止まったままでした。駅のそばの保育園。その献花台に手を合わせた時胸が押しつぶされそうでした。窓ガラスがすべて抜けて遊具一つ残ってない園庭を眺めながらしばらく動けませんでした。

その日は山元町の災害ボランティアセンターがお休みなので、個人でボランティアをなさっているお寺にお世話になる事になっていました。近くまで行くとまだ7時と早いせいかどなたもいらっしゃらない。パンダ夫と近くのコンビニ(柱しかないけど)の駐車場に車を止めて瓦礫置き場を見に行ってみました。ここまで来ると、瓦礫置き場は至る所にあるのでさして驚かなくはなっていました。

海沿いの小学校。建物はキレイなのにかなりの高さまで波を被っているのが見て伺えます。このあたりになると個人宅と思われる物は土台のコンクリートしか残っていない状態なので、「ここが玄関だったのかもね?」と言う状態。ご無事だったことを祈るばかりです。

さて、お寺は普門寺と言って(偶然パンダ家と同じ宗派でした)立派なお寺。でももちろん被災して修繕中。

普門寺(テラセン)

活動ブログの中26日アップ分にパンダちょこっと写っております。

さてさて、9時集合。何をしたのかと申しますと・・・行くと物腰の柔らかい方が対応くださって「分別が大変なんです。石膏を木からはがして土嚢へ入れていただけますか。」との指示。了解とばかりに仕事にかかる。この方がご住職なんだ~やっぱりお坊さんっぽいなぁと思っていた方は実は住職でない事が後に判明する石膏はがしの後は、廃材で椅子作り。これがまた・・・パンダ自分がお嬢様とは思っていませんでしたが、サンダーも使ったこと無いし、電動丸鋸も発電機も初めて。でもここでは当たり前のように「これ使ってくださいね。」とにこやかに渡される背丈の半分ぐらいあるバールで釘を抜き(塩でさびてて抜けない)手が痒くなるぐらいブルブルしながらやすりをかける。この作った椅子は復興際の椅子として使われていました。

お寺には沢山の方が来ていました。まず大型バスに乗って団体のボランティア。揃いのビブスを来て個人宅のがれき撤去へ向かっておりました。お墓参りの方もいる。皆さん浦安からの私達をねぎらっていただきました一人、ボランティアエキスパートな方がいて、「5時間半!?近いね。おれ8時間半ぐらいで着くかな?」と尾張小牧ナンバーのプリウスで乗り付ける。

やすりがけもネコ(手押し車の事をネコと言うらしい)も使い慣れたころ、年配の男性がフラっと近くへ来て

「コロッケ。 まだあったかいから。」

とだけ言って二個入りパックを二つ手渡してくれました。まるでインディアンの様に単語だけの会話だったのですが、お気持ちが嬉しくて、とても美味しくいただきました。

さて、作業しながらも何人か声をかけていただきました。皆さん、あの日の事を良く覚えていらっしゃってお話しを伺いました。とても悲惨な状況の中「オレんとこなんかちり紙一つ残ってないよ。」と笑うオジサマの笑顔が救いでした。

朝見た小学校。低学年は車に載せて高学年は走って避難。それも後ろから迫る波に走りながらの避難だったこと。近くの老人ホームの職員が半分避難させて残りの入所者を避難させるため津波警報の中施設に20人近くの職員が戻り犠牲になったこと。南の町は集落がいくつも消えた事。私がテレビで見ていた物、それをはるかに上回る出来事でした。

「テキトーに休んでくださいね。」とのお言葉に甘えて12時きっかりに昼休みに入る。いただいたコロッケとコンビニのおにぎりを食べパンダ撃沈。30分ぐらい寝てしましました。良く大工さんが車で昼寝しているのを見かけますが納得したのでした

4へ続く



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故郷が増えました2

2011-11-01 22:50:50 | 管理人の部屋
普通に5時まで仕事して、家に帰宅。そしてパンダ夫を待つ。この時点で子供達は実家に泊まりに行っているそしてパンダいそいそとお弁当を作る。親子丼と焼きそば組み合わせは気にしないでください。冷蔵庫に残して痛みそうな物を使っただけなので

11時近く。パンダ夫帰宅こんな日ぐらい早く帰って来なさいよ~と思いつつ、シャワーを浴びてすぐ出発。23時30分ぐらいかな?ナビに山元町役場を入れたら「4時38分到着予定です。」と空気読めない感じのナビの声。

パンダ睡眠欲が人一倍強く、4時まで運転できるのか心配ともかく運転手は二人いるから何とかなるでしょうと出発

運転席以外は荷物置き場で、椅子とテーブル、寝袋にコンロ、食料品にポット、一応ラケットとボール←なんで?を持ちました。こんな時に試合で遠征に行くときの七つ道具が役に立つ。

浦安インターにて災害派遣車両証明書を高速の料金所でお渡しする。なんか悪い事してないのにドキドキでもすんなり「きをつけて~」と通してもらった。さてさてひたすら運転。久しぶりに東北道を走りましたが相変わらず真っ暗だし眠たいし。
130キロずつ交代にしようなんて言いながら隣で舟をこぐパンダ。それにつられるパンダ夫。ここで登場。○○打破私は眠れなくなるのを恐れて飲みませんでしたが、SAで購入して飲んだパンダ夫は大絶賛。結局途中ちょっと運転しただけであとは頑張って貰いました。浦安帰ったら眠々打破会社のデスクに入れようと心に誓う瞬間でした。国見まで着いた時点で車を止めて朝まで仮眠しました。

明るくなってから再出発。高速出口では6600円の東北道料金。こちらも書類提出にて通過。ありがたい制度です

山元町は沿岸沿いの町なので東北道からはちょっと距離があります。常磐道が一部福島で通行止めな為東北道にて行くしか今のところ手だてがないのです。途中寄ったコンビニでは昼食と朝食を購入。お弁当は運転中夕食として食べてしまい、ボランティアの心得は「自分の分は自分で確保」な為少し多めに購入しました。辺りは一見何事もありませんが、コンビニ駐車場の脇に災害車両置き場があり、旅行気分が一遍で吹き飛びました。



峠道を超えると山元町の看板。ここからの二日間を私は忘れることができません。

3へ続く
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故郷が増えました。

2011-11-01 21:49:09 | 管理人の部屋
お久しぶりです。。。生きておりました。ご心配おかけしました。

今年の二月にブログを初めてからこんなに日数を空けたのは初めてです。ごめんなさい。テンパってまして


え~とどこからお話しすれば良いのか・・・?

私には故郷が沢山あります。まず生まれてこの方育ってきた浦安。良い街です。震災で出て行く方もいらっしゃったようですが、私はますます好きになりました。

もう一つ、江東区の牡丹町と言う所。門前仲町の駅からちょっと歩きます。母方の実家なのですが、小さいころは週末は必ずそこで過ごしていました。富岡八幡宮の大祭は浦安の祭りと並んで大好きで、水をザブザブかぶりながら神輿を担ぐのは子供の頃から夏の風物詩でした。

もう一つ千葉の片貝。ここは夏に全国小学生大会に参加した時皆さんをご招待した所です。海の潮騒とカブトムシや大きなひまわり。夏の思い出が沢山あります。

そして、先日行ってきた宮城県亘理郡山元町。3.11からずっと行きたいと思っていました。いや、実は行きたいと思い始めたのは4月に入ってからでしょうか?3.11からすぐは自分の生活の立て直しに必死でそこまで考えてはいなかった

ボランティアって言葉はなんだか好きではありません。こうしてワールドワイドにボランティアへ行ってきたと言うとなんだかそのこと自体を自慢しているのかの様に言葉が一人歩きしそうで・・・。でも私が見てきた事、感じた事をお話ししない事の方が罪である気が今はするのです。

またまたパンダさん。ジュニアソフトテニスのブログで何を始める気?と言われそうですが、あえてこの場をお借りして私ができること。少しずつお話しできればと思います。



被災地の状況は私があえてお話しする事もなくみなさんご存じと思います。

ここはもし後に続く方がいらっしゃったらを想定してパンダの足跡をたどってお話ししたいと思います。

準備編
先月からもろもろ準備でした。社会福祉協議会でボランティア保険に入ります。天災用の保険で確か790円だったような?そして受け入れ先のボランティアセンターに保険加入済みの上申告します。そうすると受け入れ証明書のような物をFAXして頂ける。
それを持って今度は市役所防災課へ申請しに行く。そうすると、東北道の災害派遣車両の証明書がいただけます

用意編
長靴を購入。これは安全長靴です。鉄板が入っている物。それをさらにグレードアップ釘踏み抜き防止インソール(1000円ぐらい)を合わせて購入。それに防塵マスクと軍手、カセットコンロのガスを購入しました。

もっと大事な用意編
子供達を実家に(パンダ邸より徒歩5分)預ける手筈を整え、一応上と真ん中の娘にはなぜ行くのかを話す。「私は行きたい。見たいものがある。人助けとか誰かの為にでなく、私の為に行かせてほしい。」と頼みました。理解してくれたのか?うるさいママがいなくなるのを喜んだのか快諾。モチロン一番下のチビもばぁばの家のお泊りが嬉しくて仕方ない様子。猫と金魚の世話も頼み一路宮城へ・・・

2へ続く
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