浦安ソフトテニスジュニア

ディズニーランドで有名な、千葉県浦安市のジュニアソフトテニスチームです。
クラブの目標は「二人で一本!」

11月の練習予定

2011-11-02 03:06:25 | 練習予定
11月練習予定

こんにちは。
ご連絡が遅くなりましたが、11月の練習予定をご連絡致します。
一部日曜日が浦安高校のみの練習になり、その分土曜日にコートが確保されている状態です。
また、一部練習コートが確定しない日がありますが、決まり次第後連絡します。
練習が無い日についても、コートの確保ができた場合は練習となりますので、その場合は改めてご連絡します。

3日(祝)練習なし
5日(土)13~15時中央F
6日(日)9~11時高洲AB、12~17時浦安高校
12日(土)9~11時中央EFもしくは高洲AB、
13日(日)県大会
19日(土)13~15時中央F
20日(日)9~17時浦安高校
23日(祝)9~11時中央EF
26日(土)9~11時中央EF
27日(日)9~17時浦安高校

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お疲れ様そしてありがとう

2011-11-02 02:40:53 | 管理人の部屋
10月28日金曜日 関東レディース大会が天台で行われました。

我がシュウダイママ登場。



パンダ応援に駆け付けるも途中隣の動物園へ行ってしまい、最初の試合と最後の試合しか見られなかった

動物園、楽しかった。ちょっと大人数だったので大変だったけど、宮城帰りの私には子供達がゾウを見て喜ぶ姿に涙が出そうなぐらい楽しかったチビ達の成長が楽しみ


で、試合。実はパンダは数年この試合に出たくて頑張っていたのでスルっと出場できちゃうところがスゴイなぁと尊敬していました。試合やるほど良くなってきたのかな。まくって勝ったのは良い試合でした。

パンダも応援に行って勉強になりましたしゅうだいママお疲れ様でした強化練習で良いメニューありましたら早速ジュニアで取り上げてください。私も入って練習します

結果
二位リーグ優勝です
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故郷が増えました6 ラスト

2011-11-02 02:12:25 | 管理人の部屋
15時半に作業終了片づけをして、お父さんお母さんにお別れを言いました。

子供達に山元の話、お父さんとお母さんの事話したいんです。いただいた笑顔を持って帰りたいので写真を一枚撮らせていただけませんか?とお願いしたところ、快諾いただきました。

キャノンX4を購入してから色々撮りましたが、心で押したシャッターを上手くカメラが拾ってくれました。とても良い写真です。WEBと言う特性上、お見せできないのが残念です。

さて、ボランティアセンターへ帰ってから道具を洗い、作業終了のサインを皆でしてお別れ。山元町の社会福祉協議会から大きなおにぎり一個。とっても美味しかった~

一緒に作業した仲間と飲みに行けないのが残念ですが、そこでお別れをしました。みなさん遠くから来ているので今日中に帰るとの事でした。もちろんパンダ家も明日は仕事なのでまた5時間運転して帰らなければいけません。

その前にどうしても  魚屋「たけだ」に寄ってから帰りたい。

たけだで名物「はらこめし」と秋刀魚の刺身を購入。お土産には秋刀魚とヒメイカとクーラーに持って帰りました。お店の方に氷を分けていただく様お願いしたら、沢山沢山入れていただきました。心の中で「大丈夫ウチは5時間程度ですよ~」と思いつつ。

帰りがけ、山元町からもう少し福島寄りの所まで車を走らせました。体育館の床板がバスケットゴールの所までめくれ上がった小学校。沢山の若者が命を落とした自動車教習所。漁港では海に飲まれる中奇跡的に一艘だけ残った山元丸。どれも実際見て7か月もたっているとは思えないほどでした。

帰りは約束通り、昨日浸かったお風呂にもう一度入り、早い段階で眠眠打破を飲み(今回はしょうがない私も飲みました)一路浦安へ向かい車を走らせました。なるべく東北でお金を使おうとの別の意味での支援もあったので本当にぎりぎりで、佐野SAでラーメンを食べて残りの所持金300円。帰って来られて良かった。

長くなりました。ジュニアのブログを占領してごめんなさい。もし何か聞きたい事、なんでも。私で良ければお話しさせていただきます。きっと、テニスができること。それも幸せなんだと思う。私、ラケットとボール持ったけど使い道がなかった。バールとスコップならいくらでも必要。まだラケットの出番じゃないのかな?

これから何ができるのか?問いかけながら生きて行こうと思います。


あともう少しだけ
スコップ団



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故郷が増えました5

2011-11-02 01:28:35 | 管理人の部屋
7~8名のチームに分かれてその日は個人宅の清掃および復旧。

私達が所属した隊は、ベテランリーダーと精鋭7人(うちパンダ夫妻のみビギナー)

リーダーに指示された道具をパンダ家の車に積み込み、各自の車で移動。発電機、バール、スコップ、土嚢、デッキブラシ、雑巾などなど。

言われるまで気が付かなかったのですが、各個人宅には色のついた旗がつけられていました。家主の要望によってトリアージされているのです。

瓦礫も家も撤去予定

瓦礫のみ撤去。家は修繕予定

瓦礫も家財もそのままいじらないでください。

で、伺った家は黄色の旗。仮設住宅から家主のご夫婦が家まで来てくださっていてご一緒に作業に入りました。

このお宅へボランティアが入るのは3回目?だとか。瓦礫が家の中に残る状態では無かったものの、お風呂のユニットの取り外しや、高圧洗浄と床下の泥かき、消毒液の散布とやらなければいけない事は満載です。

私はチーム唯一の女子と言うこともあって、奥様と話しながら作業をしておりました。ご自宅には猫ちゃん。なんと地震の前に家から出してくれと鳴いてせがんでそのまま津波だったのであきらめていた所、一時帰宅で戻ったら家のそばから出てきたと仰っていました素晴らしい生命力。どう考えても一階はあきかに水没する地域です。(それでも海からはかなり離れてる)猫ちゃん泳いだのかな~キセキの猫ちゃんを見てから浦安の家に帰って太りに太った我が家の猫を見たらちょっとイラッとしました

さて水を吸った箪笥の引出が開かなくて・・・との事だったのでみんなで引っ張って開けました!なんと引出は空大金が出てくる筈だったのに・・・と笑うお母さんがチャーミングで素敵でした。そのお母さんも震災直後は関東に住むお子様達がインターネットを使って安否を呼びかけていた事、電話も通じなくて困っていた事。色々話してくださいました。

そして何より私に堪えたのは「寒かった」との言葉でした。あの時、電気が不自由していたにしろ自分はどうだったのか?ガソリンを求めて並んだにしてもそれは本当にその時必要だったのか?考えれば考えるほどあの時の自分はどうだったんだろう?

オムツ無くて大騒ぎして、粉ミルクの水が無いとぼやいて・・・。お母さんたち東北の方々が困ってると知っていたのに被災者面して右往左往していたんだ・・・本当にごめんなさい。口に出しては言えなかったけど、お母さん寒い思いさせてごめんね。

山元町はリンゴとさくらんぼが名産だそうで、休憩時間にお母さんがリンゴをむいてくれました。庭にはダリアの花。塩を被って水没していた期間もあるのに逞しいなぁと眺めていたら、「球根は強いね。流されなかったし」と話してくれました。実は庭にはミニトマトとトマトが沢山なっていたのですが、それらは全て勝手に生えてきたとむしろちょっとご立腹のご様子。でも時々しかこられないと仰っていたのにキレイにしているお庭でした。

さて、精鋭7人。リーダーが途中お買いものに抜ける時があり、パンダ「いってらっしゃ~い。」なんて気軽に見送っていたら皆を集めて「ラジオは切らないで。大きな揺れがあったらまずラジオで情報を入れてください。そして荷物はそのままで良いので二台の車で高台へ逃げてください。」と言い残して出かけて行きました。つい忘れがちですが、用心しなければいけないのです。

作業お宅のそばにはレールもパンタグラフの柱も無くなった線路に電車がポツンと置かれていました。



解体用のバールで壁を剥がして、グラスウールと呼ばれる断熱材を取り除き、高圧洗浄機(ケルヒャー)をかける。キレイになったら消毒液を浸した雑巾で壁を拭く。そして乾かす。

和室にはお着物がまとめて置かれていました。お母さんは「捨てなきゃいけないのはわかってるんだけど・・・もったいなくてね。」と。お嬢様が小さいころ着た着物もあり、思い出話を聞かせていただきました。パンダ家も週末に七五三をひかえた娘がいる。きっとこの着物にも値段じゃない物がつまってるんだろうな。。。最終的には廃棄の所へ持って行っていましたが、それを見て私が泣きそうになりました。何しにいってるんだか・・・。

6へ続く
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故郷が増えました4

2011-11-02 00:38:31 | 管理人の部屋
午後からも張り切って椅子作り。15時半ごろ個人宅の瓦礫撤去隊が帰って来たので、作業道具を片づけたり土嚢のがれきを分別したりしました。その分別項目およそ20種類と聞きました。

震災当初は生活道路確保の為、道路の瓦礫だけは大まかに集めたそうですが、今は分別して回収が強く義務付けられているそうで実際パンダとパンダ夫は割れたガラスと割れた瀬戸物を分別しました。だれかのマグカップ。湯呑。お皿。瓦礫と言うのは簡単ですが、きっと誰かの大切な物だったのかな?そんな事を思いながら分別。他県での瓦礫受け入れでモメておりますが、頑張って分けてるから受け入れてあげて~と思った瞬間でした。

16時もまわりテラセンの方々に作業終了のご挨拶。ジーンズに長Tのラフな格好で工具を操っていた方が実はご住職で、物腰の柔らかい私がお坊さんと信じて疑っていなかった方はNPOのお手伝いの方と判明。でもお二人とも素敵な方々でした。ふとご住職の御説教を聞いてみたいとおもいました。

で~一日ぐらい風呂入らなくても死にゃしないよなんて言っていましたが、「お風呂を探そう!」で久しぶりに夫婦一致の意見。しかし山元町には日帰り入浴施設が無い隣町まで車を走らせることになりました。

途中素敵な出会い。魚屋「たけだ」

ふとお風呂を探して通りかかったらおいしそうだったので、そこで刺身を購入。塩釜港で上がったばかりの新鮮なお魚です。今晩はカセットコンロでカレーを湯煎してなんて言ってましたが、サトウのご飯に刺身と言うリッチな夕食になりました。

隣の角田市まで戻ってお風呂に入り、また山元町町役場の駐車場にてその日は車中泊。山元町役場は、役場の建物が耐震構造に問題があるので使えず、隣にプレハブが建てられていました。役場の裏、リンゴ畑の所には仮設住宅。

今日見てきた事、聞いた事、色々話したい事があったのに20時半には消灯。今時小学生でもこんなに早く寝ないよ?っていう時間に爆睡してました。そしてとても寒かった・・・これからの季節車中泊は寒いです

六時起床。エンジンをかけると地デジ対応していない我が家の車でもテレビを見る事ができました。カセットコンロで鍋にお湯を沸かし、御餅を温める。きなこを持っていったのでそれが朝食。その日の昼食は夜お風呂へ入りに行ったときにコンビニでおにぎりを購入しておきました。夜は気付かなかったけど、仙人?プロのボランティアに遭遇。和歌山ナンバーの車の中で歯磨きをする男性。車中は干した洗濯物など生活感たっぷり。そして伸ばしたヒゲ。この方についていけば大丈夫だ。私達はそう確信したのでした。

山元町災害ボランティアセンター
9時受付開始。こちらも大型バスで大勢到着。モチロン個人でいらっしゃっている方も沢山いました。
受付をして、ガムテープの名札を貼って、ボランティアと記入ある腕章をつける。受付をする為パンダ並んでいると

「インタビューよろしいですか?」と録音機能マイクを持った女性が現れる。そのままお話しを伺うとラジオの災害専用番組らしいご様子。
「どちらから?」

千葉の浦安です。

「山元町に一言」

ビックリしました。浦安も液状化などで被災していますが、山元町に比べたら大したことないです。一緒に頑張りましょう

震災が無ければ私は多分山元町に来ることは無かったと思います。でもこれからは必ず来ます。次は子供達を連れてきます。私の第二の故郷と思って山元の復興を見届けます。



パンダ言い切った。その言葉になんの偽りもない。昨日見た景色、出会った方々、思い。それらが思い出され突き動かされるように話していた。ラジオで使うかもわからない。でもその時私には故郷がもう一つ増えた
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