前回
なんじャ…この奇妙な組み合わせ ![](http://i.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s324.gif)
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向こうに見える欄干には「俎橋」
俎橋(まないたばし、爼橋)とは、
難読として知られる橋銘は「爼」となっているが、
一般的には「俎」と表記されることが多い。
他に「俎板」や「魚板」などとも書かれた。
稀に「姐」と誤記される。
あったことによるとする説と、近くに存在した台所町との関連で
名付けられたとする説がある
東詰には俎橋交差点があり、その向こうに神保町が続く
観光名所に囲まれている。
江戸時代には東側には武家地が広がり、西側は飯田町と称した。
東側には現在のように橋を降りて直進する道路はなかったため、
橋は現在ほど往来が多くはなく、橋自体も小規模であった
堀留橋付近がその名の通り堀留で、俎橋が日本橋川の最も
上流に架かる橋であった。
存在し、物資の荷揚げが行われた
明治には武家地が廃されて東側にも神保町へ続く直進した
俎橋は交通の要衝となった。
鉄筋コンクリートのアーチ橋に架け替えられると、俎橋の交通
量は更に増加した
「寿人遊星」
山下恒雄 東京藝術大学教授寿人遊星とは、寿老人が宇宙を回遊して、
星と共にあまねく市民に長寿を授ける神のお姿である。
その寿老人は、七福神の第一におかれる長命の神で、古来中国では
南極老人星といって、福寿をつかさどる星とされたが、宋・元時代
(日本では室町時代)から人格化されて偶像となり、画像・彫像となって
庶民の信仰を深める対象となり普及した。
「形像は老人の姿で、
人間の寿命を記した巻物を先に結んだ杖をつき、
また長命の象徴の二千年を経たとされる黒鹿(玄鹿)を伴う」
と百科事典に記されていて 広辞苑にも同様の記事があるそうな。
ハレー彗星接近の年、モチーフとなったのは七福神の一つで、
星と関係の深い寿老人 ![](http://i.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s317.gif)
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そのモニュメントの中には七十六年後の未来の街の想像、
発展を念じたタイムカプセルがつまっている。![](http://i.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s316.gif)
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(千代田区九段下俎橋児童公園)
*この彫刻は、絵本「神田彷徨」((株)久保工務店発行)の売り
上げ金の一部によって創られ、千代田区に寄贈されたものです。
この像は、俎板橋児童遊園 にあります ![](http://i.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s325.gif)
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