前回
なんじャ…この奇妙な組み合わせ
向こうに見える欄干には「俎橋」
俎橋(まないたばし、爼橋)とは、
難読として知られる橋銘は「爼」となっているが、
一般的には「俎」と表記されることが多い。
他に「俎板」や「魚板」などとも書かれた。
稀に「姐」と誤記される。
あったことによるとする説と、近くに存在した台所町との関連で
名付けられたとする説がある
東詰には俎橋交差点があり、その向こうに神保町が続く
観光名所に囲まれている。
江戸時代には東側には武家地が広がり、西側は飯田町と称した。
東側には現在のように橋を降りて直進する道路はなかったため、
橋は現在ほど往来が多くはなく、橋自体も小規模であった
堀留橋付近がその名の通り堀留で、俎橋が日本橋川の最も
上流に架かる橋であった。
存在し、物資の荷揚げが行われた
明治には武家地が廃されて東側にも神保町へ続く直進した
俎橋は交通の要衝となった。
鉄筋コンクリートのアーチ橋に架け替えられると、俎橋の交通
量は更に増加した
「寿人遊星」
山下恒雄 東京藝術大学教授寿人遊星とは、寿老人が宇宙を回遊して、
星と共にあまねく市民に長寿を授ける神のお姿である。
その寿老人は、七福神の第一におかれる長命の神で、古来中国では
南極老人星といって、福寿をつかさどる星とされたが、宋・元時代
(日本では室町時代)から人格化されて偶像となり、画像・彫像となって
庶民の信仰を深める対象となり普及した。
「形像は老人の姿で、
人間の寿命を記した巻物を先に結んだ杖をつき、
また長命の象徴の二千年を経たとされる黒鹿(玄鹿)を伴う」
と百科事典に記されていて 広辞苑にも同様の記事があるそうな。
ハレー彗星接近の年、モチーフとなったのは七福神の一つで、
星と関係の深い寿老人
そのモニュメントの中には七十六年後の未来の街の想像、
発展を念じたタイムカプセルがつまっている。
(千代田区九段下俎橋児童公園)
*この彫刻は、絵本「神田彷徨」((株)久保工務店発行)の売り
上げ金の一部によって創られ、千代田区に寄贈されたものです。
この像は、俎板橋児童遊園 にあります
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます