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平成最後のツーリング 西日本2850Km ⑮ 400年の生野鉱山及び 鉱山町の文化的景観 ドキュメント BMW F650 GS
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明治元年(1868年)から日本初の政府直轄運営鉱山となり、鉱山長・朝倉盛明を筆頭として、お雇いフランス人技師長ジャン・フランシスク・コワニエらの助力を得て、先進技術を導入し近代化が進められた
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明治元年(1868年)、生野鉱山が我が国初の官営鉱山となり、政府はフランス人鉱山技師を招聘するなど近代化を進め、町内には外国人たちが暮らす洋館のほかに、日本人用の官舎も造られました。明治29年(1896年)には当時所管であった宮内省から三菱合資会社に払い下げられ、以来三菱の鉱山として栄えてきました
吉川家は、江戸時代には代々山師で、井筒屋を名乗って郷宿を営んできました。山師は、江戸時代の生野銀山において代官所から採掘権を与えられた銀山の経営者で、吉川家は鶴林山という山の経営者でした。郷宿は、公用で代官所に出頭するための宿で、訴訟人に宿を提供するだけでなく、訴訟人の依頼で代官所に提出する訴状を書いたり、訴訟の手続き等を行うなど現在の弁護士の前身とも言える存在でした
本館の旧浅田邸は、昭和7年(1932年)建築で浅田貞次郎の三男養蔵の旧邸で、別館は、井筒屋の六代目当主・吉川増太郎の隠居部屋として明治中期に建築されました
旧生野警察署は、地元大工の杉浦嘉作が明治19年(1886年)に建設。町内にあったフランス人技師の異人館をまねた左右対称の擬洋風建築物です。正面の軒瓦下には警察の紋章と生野の旧町章が残されています。三角ペディテントに軒蛇腹と、ドアが2つ左右対称に設置されているのが特徴的です
林木商の邸宅(大正期)を改修し、入口には明治初期に鉱山長を務めた
朝倉盛明氏の官舎正門を移設した、旧家の面影を残す資料館となっています
生野の町を走っていた馬車鉄道を廃止して、大正9年(1920年)に電車軌道として完成しました。市川にアーチ型に石垣を積んで、川に張り出して線路を確保されており、今もその美しい姿を見ることができます。当時は生野鉱山本部から生野旧駅までの間を、アメリカ製の6トン電気機関車が500ミリ軌道で結んでいました