2011.5.4 アイコちゃんのお別れのセレモニー
アイコが晴天の青い空に上がっていきました。
私がお休みだったので ゆっくりお別れして来ました。
小さなお骨になったアイコが帰ってきました。
ちょっとしか Pikoんちにいられなかったアイコ
来年の桜の枚散る日に納骨しようと思います。
ノアさんご一家がアイコにお花を届けて下さいました。
ほんとうにありがとうございました。
アイコのこと お見守り願ってくださった皆様
ほんとうに ありがとうございました。
メールも頂きまして ありがとうございます。
アイコは、お昼のお空に上がっていきました。
アイコの身体がお空に上がって行くのを見つめていました。
お花を買ったのですが、母の日のイベントで
ほとんど カーネーションばっかりでしたので、
アイコもカーネーションのお花に埋もれて
お別れのセレモニーは、
橋本レストガーデンのスタッフと私の二人でしたが、
とっても 丁寧にお別れのセレモニーを進めてくだり感謝です。
お別れは ほんとうに寂しいもんです。
お骨になったアイコ
お家に帰ろうねって抱きしめました。
帰宅途中に白いユリのお花とピンクのお花を買いました。
ノアさんご一家が、アイコにお花をお供えしてくださいました。
優しいお気持ちに感謝です。ありがとうございました。
2011.5.5 パリスちゃんの里親様が、
アイコのためにa/d缶と美味しいフードを届けて下さいました。
ご旅行のためネット環境になかった里親様でしたので、
アイコにお供えさせて頂きました。
ほんとうに ありがとうございました。
アイコがいなくなって 寂しいです。
お別れって ほんとうに辛いですね。
アイコは、激やせの状態での保護でした。
保護後 順調に食事を食べてくれて、徐々に体重も増えてきてました。
まだ 風邪引きも完治しない状態で、身体も骨がゴツゴツしてる状態で、
一番体調のいい時期をみて 避妊手術をと様子を見ておりました。
もうすこし あと ちょっとと思った矢先のことでした。
発情してしまったのです。
発情をきっかけに 順調に食べていた食事も食べなくなり、
点滴やシリンダーなどで 食べさせてはいましたが、
絶対的な量が足りず、黄疸もでており熱も下がらない日が続きました。
ウイルス検査結果 白血病陽性だったアイコは、
すでに発症しており、同時に伝染性腹膜炎で腹水がたまってました。
何回も病院に連れて行きましたが、治療のかいもなく
どんどん 体調が落ち込んでいきました。
最後の病院では、治療をすることがアイコに負担になるとのことで
アイコに残った大事な時間の過ごし方や必要な介護の仕方などを
いろいろ教えて頂いて帰路につきました。
亡くなる10日ほど前から アイコはトイレに行かなくなり
寝ながら少しずつ漏らしていたため、お腹や腰回りが濡れていました。
レイスさんにもアドバイスを頂き 新生児用のおむつを購入。
お得な方法が出来たので、どんどん取り替えてあげることができました。
暖かいタオルで拭いてあげたりなど 私にできる努力をしました。
亡くなる前々日の夜に 20秒ほどの時間でお腹と腰回りを
シャワーで流してあげることができました。
アイコのお腹が フワフワになって匂いも取れてました。
そして 今 私は思ってます。
アイコは 保護時に すでに白血病が発症していて
伝染性腹膜炎も発症していたのだと思ってます。
アイコの身体を振りかえり そう思われます。
保護時より ダイニングキッチンエリアに
完全隔離の状態で治療を続けてました。
でも パソコンも置いてる私が一番 長時間過ごす場所で
暖かいお部屋で、アイコと二人だけの長い時間を過ごせました。
元気になったら 女の子達ばかりいるプリンセスルームに
デビューさせてあげたいと強く願っていました。
お別れのセレモニーのため 自宅を出発する前に
アイコをプリンセスルームに連れてあげました。
アイコっ
アイコ ごめんよ。
未熟なPikoでごめんよ。
アイコが逝ってから 私はずっと考えてたよ。
ほんの少しの判断ミスもなかったのかと・・・
アイコ 大好きだよ
Pikoんちに来てくれて ありがとう
Pikoのこと選んでくれて ありがとう
皆様 お家のコに迎えさせて頂いたアイコでしたが、
お見守りくださいまして ありがとうございました。
アイコ ありがとう。
アイコが晴天の青い空に上がっていきました。
私がお休みだったので ゆっくりお別れして来ました。
小さなお骨になったアイコが帰ってきました。
ちょっとしか Pikoんちにいられなかったアイコ
来年の桜の枚散る日に納骨しようと思います。
ノアさんご一家がアイコにお花を届けて下さいました。
ほんとうにありがとうございました。
アイコのこと お見守り願ってくださった皆様
ほんとうに ありがとうございました。
メールも頂きまして ありがとうございます。
アイコは、お昼のお空に上がっていきました。
アイコの身体がお空に上がって行くのを見つめていました。
お花を買ったのですが、母の日のイベントで
ほとんど カーネーションばっかりでしたので、
アイコもカーネーションのお花に埋もれて
お別れのセレモニーは、
橋本レストガーデンのスタッフと私の二人でしたが、
とっても 丁寧にお別れのセレモニーを進めてくだり感謝です。
お別れは ほんとうに寂しいもんです。
お骨になったアイコ
お家に帰ろうねって抱きしめました。
帰宅途中に白いユリのお花とピンクのお花を買いました。
ノアさんご一家が、アイコにお花をお供えしてくださいました。
優しいお気持ちに感謝です。ありがとうございました。
2011.5.5 パリスちゃんの里親様が、
アイコのためにa/d缶と美味しいフードを届けて下さいました。
ご旅行のためネット環境になかった里親様でしたので、
アイコにお供えさせて頂きました。
ほんとうに ありがとうございました。
アイコがいなくなって 寂しいです。
お別れって ほんとうに辛いですね。
アイコは、激やせの状態での保護でした。
保護後 順調に食事を食べてくれて、徐々に体重も増えてきてました。
まだ 風邪引きも完治しない状態で、身体も骨がゴツゴツしてる状態で、
一番体調のいい時期をみて 避妊手術をと様子を見ておりました。
もうすこし あと ちょっとと思った矢先のことでした。
発情してしまったのです。
発情をきっかけに 順調に食べていた食事も食べなくなり、
点滴やシリンダーなどで 食べさせてはいましたが、
絶対的な量が足りず、黄疸もでており熱も下がらない日が続きました。
ウイルス検査結果 白血病陽性だったアイコは、
すでに発症しており、同時に伝染性腹膜炎で腹水がたまってました。
何回も病院に連れて行きましたが、治療のかいもなく
どんどん 体調が落ち込んでいきました。
最後の病院では、治療をすることがアイコに負担になるとのことで
アイコに残った大事な時間の過ごし方や必要な介護の仕方などを
いろいろ教えて頂いて帰路につきました。
亡くなる10日ほど前から アイコはトイレに行かなくなり
寝ながら少しずつ漏らしていたため、お腹や腰回りが濡れていました。
レイスさんにもアドバイスを頂き 新生児用のおむつを購入。
お得な方法が出来たので、どんどん取り替えてあげることができました。
暖かいタオルで拭いてあげたりなど 私にできる努力をしました。
亡くなる前々日の夜に 20秒ほどの時間でお腹と腰回りを
シャワーで流してあげることができました。
アイコのお腹が フワフワになって匂いも取れてました。
そして 今 私は思ってます。
アイコは 保護時に すでに白血病が発症していて
伝染性腹膜炎も発症していたのだと思ってます。
アイコの身体を振りかえり そう思われます。
保護時より ダイニングキッチンエリアに
完全隔離の状態で治療を続けてました。
でも パソコンも置いてる私が一番 長時間過ごす場所で
暖かいお部屋で、アイコと二人だけの長い時間を過ごせました。
元気になったら 女の子達ばかりいるプリンセスルームに
デビューさせてあげたいと強く願っていました。
お別れのセレモニーのため 自宅を出発する前に
アイコをプリンセスルームに連れてあげました。
アイコっ
アイコ ごめんよ。
未熟なPikoでごめんよ。
アイコが逝ってから 私はずっと考えてたよ。
ほんの少しの判断ミスもなかったのかと・・・
アイコ 大好きだよ
Pikoんちに来てくれて ありがとう
Pikoのこと選んでくれて ありがとう
皆様 お家のコに迎えさせて頂いたアイコでしたが、
お見守りくださいまして ありがとうございました。
アイコ ありがとう。