元キャンディーズの田中好子さん死去/55歳・乳がんのため…グループ解散後は女優として活躍、代表作に映画『黒い雨』など
キャンディーズは女性トリオアイドルとしては最も人気があったのではないだろうか?
キャンディーズ
≪キャンディーズのメンバーは、3人とも東京音楽学院のスクールメイツ出身。最終選抜で3人が選ばれたが、彼女ら以外に太田裕美やザ・ヴィーナスのボーカルであったコニーもいた。 1972年(昭和47年)4月に、NHKの新番組「歌謡グランドショー」のマスコットガールとして3人揃って抜擢され、番組プロデューサーから「食べてしまいたいほどかわいい女の子たち」を意味して「キャンディーズ」と名付けられた。3人ともスクールメイツの中でも特に目立つ存在ではなく、歌謡グランドショーでもマスコットガール兼アシスタント(椅子・マイク運び・代理音合わせ)に過ぎず、歌手デビューの予定はなかった。しかし歌謡グランドショーに出てしばらくたった頃、東京音楽学院をたまたま訪れた松崎澄夫が、教室に入ってきたキャンディーズの3人を見て「かわいい子がいるなあ」と目を止めた。松崎が音楽学院の担当者にレコードデビューの有無を聞くと、「まだです」との返事が返ってきたので、松崎はそのままキャンディーズの歌手デビューを決定した。≫
キャンディーズはいろいろな意味で「不思議」なアイドルグループだった。Wikipediaの記事も引用しておいたが、どこまで「本当」なのか判らない。
スーちゃんは少し可愛かったが、後の二人は好みもあるだろうが当時の他のアイドルに比較すると、とりわけ美人というほどでもなかった。トリオで売り出したが、後のELTと同じで「メインボーカルと付け足し」的発想だったのだろう。ところがこの企画が失敗だったのはWikipediaの通りである。
「キャンディーズ」とはネーミングもいい加減な感じだが、デビュー当時の衣装をネット上で見ても、失礼ながら安キャバクラのねーちゃん的な代物で、率直なところ「あまり金をかけてないな」という印象だった。歌唱力もWikipediaの通りである。
要するに、人気が出たのが不思議なグループなのである。
当時のナベプロはTV局に絶大な影響力を持っていたので、その威光でマスコミに顔をさらす機会は多かったが、「使い捨てアイドル」の域を出なかった。
ところが、1年後に「年下の男の子」が大ヒットし、一気にスターダムを獲得した。その後1年に1~2度くらいの割合でコンスタントにヒット曲を提供した。
「普通の女の子に戻りたい!」は有名だが、本当に突然の解散かどうかは疑問である。
後のSPEEDの解散同様、プロダクション側が早々に見切りをつけた結果かもしれない。
本人たちの意志でなかった証拠に、その後3人とも芸能界に復帰している。その中で、最も人気を回復したのがスーちゃんだった。やはり、それなりに実力があったのだろう。
60~80年代のアイドルは今よりも不確定要因が大きかった。プロダクションの思い入れと人気が相当不一致だったのである。「どう見ても、歌は下手、顔もいまいち、でも大ヒット」などという現象はざらに起こった。アイドルではないがその最たるものは「ぴんからトリオ」である。勿論出自環境が大きく異なるのでキャンディーズを「ぴんからトリオ」の女性版などと評するつもりはないが…。
現在でも人気グループの人工栽培は至難の業だが、ジャニタレなどは比較的成功している。椎茸みたいなものである。しかし、宇多田ヒカルみたいな松茸は誰も成功していない。「キャンディーズも松茸だった」と評していいだろう。
例のAK何がしとか韓国の女性グループとか、しゃかりきに宣伝しているが、今後どうなるのか見ものである。
しかし、癌転移で死亡とは、もう少し治療で何とかならなかったのか?
55歳の早世は惜しまれる。
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