少年裁判の死刑判断で揉めた事件である。特に犯人の異様な行動と発言、大げさなマスコミの取り上げ方が話題を呼んだ。
被害者の夫である本村氏も、9年の間に相当の変貌を遂げた。
判決後のインタビューを聞いていると理路整然としていて、すでに評論家になっている観もある。
被害者の親族の立場からすれば、犯人に極刑を望むのはやむを得ないかもしれない。
死刑というのは最高刑のように思われがちだが、前近代社会においては死刑にも軽重があった。
どういう手段で殺すのか、関係者をどれだけ殺すのか、などの要素が加味されて、死刑そのものも判決を下す側は軽重を考慮したものである。
それにしても、死刑乱発国の中国のやり方などを見ていると浅ましく思われる。おそらく中国や北朝鮮その他非先進国には死刑に等級が存在するだろう。
楢崎康英裁判長はすぐに判決を言わず、もったいぶったかのように長々と判決理由の朗読をしていた。その意図はわからない。
この裁判で何故大勢の弁護団が集結したのか? 全員が死刑反対派のボランティアと聞く。
私も個人的には死刑反対である。死刑が不合理だからだ。死刑に相当する犯罪を犯して社会に損失を与えたならば、一生労働することで少しでも代償を求めるべきだろう。
私の場合身内が殺されたら、犯人をただ殺すだけでは気が済まない。私が受けた損害を金銭的に補償してもらいたいと考える。
生かしておけば、稼げる余地のある人間を殺してはもったいない。現行の刑務所内労働賃金は話にならないくらい定額である。一種のぼったくりだ。実際の労働量に見合う賃金に改めるべきだろう。
終身刑を言い渡されたりすると、服役者の労働意欲がなくなり、かえって維持費がかさむ」などという意見も聞こえそうだが、刑務所内の待遇の差別化などで対応できそうだ。服役者も刑務所内で購買可能になれば、労働する意欲もわくだろう。
そもそも日本の裁判など、特に政治的判決などを見るとまるで信用できない。三権分立など戯言で、司法は完全に行政のコントロール下にある。NHKが公共放送で独立していると主張しているようなものだ。
裁判員制度などろくでもない発想だ。これについては、そのうち暇を見つけて書くつもりだが、それよりも最高裁判事国民審査のいい加減さを改めるほうが先だと思われる。
「どうせ国民は馬鹿だ」と思っている既得権益者のご都合による改悪やごり押しが目につくご時世である。
(記事)
<光母子殺害>死刑判決…元少年、遺族に一礼
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