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株のデイトレードと食事

もうお出かけの時間

2010-10-24 12:34:29 | Weblog
昔、書いた小説をコピーして貼って続けてきたが、もう新たに書き下ろさないといけない。母に捧げるバラードのヒット以来2-3曲ヒット曲がでたがその後でない武田てつやがコンサートでしかたがないので童話を読んでいた故事?にならい松尾芭蕉の奥の細道でもコピーして貼っておこうかと思ったが、この文章を枕詞にして貼っておこう。あのしょうも無い小説でも考えてかこうと思ったら30分ぐらいかかるので

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ 去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて 住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに 草の戸も住替る代ぞひなの家

月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である。船頭として船の上に生涯を浮かべ、馬子として馬の轡(くつわ)を引いて老いを迎える者は、毎日旅をして旅を住処(すみか)としているようなものである 古人の中には、旅の途中で命を無くした人が多くいる。わたしもいくつになったころからか、ちぎれ雲が風に身をまかせ漂っているのを見ると、漂泊の思いを止めることができず、海ぎわの地をさすらい、去年の秋は、隅田川のほとりのあばら屋に帰ってクモの古巣を払い、しばらく落ち着いていたが、しだいに年も暮れて、春になり、霞がかる空をながめながら、ふと白河の関を越えてみようかなどと思うと、さっそく「そぞろ神」がのりうつって心を乱し、おまけに道祖神の手招きにあっては、取るものも手につかない有様である。 そうしたわけで、ももひきの破れをつくろい、笠の緒を付けかえ、三里のつぼに灸をすえて旅支度をはじめると、さっそくながら、松島の名月がまず気にかかって、住まいの方は人に譲り、旅立つまで杉風の別宅に移ることにして、その折に、人の世の移ろいにならい、草葺きのこの家も、新たな住人を迎えることになる。これまで縁のないことではあったが、節句の頃には、にぎやかに雛をかざる光景がこの家にも見られるのであろう。


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