手賀沼日記

老害の一側面について考える

「老害」ということばは、その定義はなかなか難しい面があります。

老害とは指導的立場にある人たちの、世帯交代が円滑に行われず、高齢者が社会の一線にとどまり、社会の発展・進歩を阻害している状況を意味しています。

あらゆる局面で、高齢者から次のような発言がなされます。
「自分が若い頃、非常に貧乏であり、アルバイトに追われ、時間ができても遊んでばかり、とにかく勉強する時間もなかった。しかし当時の苦難を乗り越え、今の自分がいる」

解釈
1 この人は自分が成功したことを自慢しているのだろうか。ただの幸運ではないのか。自己満足派。
2 若い頃勉強せずとも何とかなる。遊んでばかりでもなんとかなる。したがって勉強する必要はない。時間の無駄。反知性派。
3 勉強よりも人付き合いが大切。勉強はほどほどに。人間関係派

ほかにもいろいろ解釈があるでしょう。これを聴いた若者にとっては、高齢者の自慢話以外の何物でもなく、むしろ有害。

今世紀初め、資格の専門学校が4年制大学を立ち上げました。その際、大学側が教授陣(私もその中の1名でした)にこればかりは学生たちに言ってくれるなというのです。すなわち、
「自分の大学時代あまり勉強しなかった、勉強せずとも何とかなるよ、生活費稼ぎのバイトに明け暮れた」。これは正しい考え方です。

しかしながら、大学自体は設立に無理があり2‐3年で瓦解しました。

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