カレー屋(EXA)

エキプロ5で遊ぶブログでした。もはやその名残りはほぼない。

パープルハート

2020-10-05 22:22:00 | スポーツその他
3月、4月、5月、6月。

猛威を振るう感染症が社会に閉塞感を漂わせ、“停まった”世界の一方で、
季節は変わることなく巡り行き、
麗かな陽気から、梅雨らしい梅雨へ、
そして漂う夏の気配。

リスクを承知で、世界が動き出す方向に進み始めるとともに、
6月から、7月へと移りゆく中で。

様々なところで、様々な人が、
何かを決断し…
ある意味では、進み始めていきました。

そんな進み始めた世界の中の、一人の女性のお話。



7月7日、
七夕の夜。

まなせゆうな選手がおよそ3年半主戦場とした
東京女子プロレスを離れる決断を、記者会見の場で明らかにしました。



「愛星ゆうな」という選手を知ったのは…

…もうだいぶ前のことになるということを実感するあたりに、
意外と自分もプロレスに興味を持ってから長くなってきたんだな
(=着実に歳をとっている)ということを思い知らされますが…

たぶん、最初に知ったのはツイッターと、
サムライTVの速報バトル☆メン。
もうSアリーナではなかったと思います。

プロレスブログの大家である「ブラックアイ」さんでも、
“愛川ゆず季の後継者になれる逸材”として
そのデビュー戦の印象が語られていたように記憶しています。

しかしまあ当時はまだまだプロレスあまり見てなくて、
スターダムという団体に足を伸ばすこともなかった私は、
プロレスニュースではその名前を目にするものの、
実際の試合を目にすることはありませんでした。

そしておそらくは初めてその名前を目にしてから1年後の3月頃、
度重なる怪我等も影響してか、
愛星ゆうな選手スターダム退団の報を、
やはりプロレスニュースサイトや
ツイッター上で目にしていたような記憶があります。



それからしばらくして、
たぶん、2015年末のREINA後楽園大会だったでしょうか。

大会のカードに“アクトレスガールズ提供試合”があり、
出場選手に「愛星ゆうな」の名があるのを見つけました。

そのアクトレスガールズ提供試合、
今であれば錚々たるメンバーなんだとおもいますが、
当時はまだまだどの選手もキャリアは浅く、
しかもいきなりの後楽園での試合で、
パフォーマンスを発揮しようとするも中々うまく行かなかったり。
どこか危なっかしく映り、とてもハラハラしていました。

(※そのことについて、今よりもスレていた私は、
多分、とてもスレたツイートを残した記憶があります。
絶対に、とても、失礼な内容なので、掘り返さない。)

…そんな中で、赤のコスチュームを身に纏った、長身のレスラー…

女子のトップ団体でデビューしてきた
愛星ゆうな選手の試合ぶりは、
地に足がついている…というか、安定感・安心感があって。
この試合に一人、そういう選手がいたことにホッとしたのを覚えてます。


[2015.12後楽園:たぶん最初に“愛星ゆうな”を知った日]



時は移ってさらに翌年3月末。
アクトレスガールズの提供試合を見るのは
何故かやっぱりREINAの後楽園大会だった訳ですが…
…そこに、
愛星ゆうな選手の名前はありませんでした。

実のところその顛末についてはよく存じ上げない部分もあるのですが、
事実、2016年の3月、愛星ゆうな選手は
アクトレスガールズを退団されていた、
ということを、後に知ることとなりました。



再び愛星ゆうな選手の存在を私が目にすることになったのは、
“ミス東スポ2016”…
と、
いうよりも。

個人的なインパクトとしては圧倒的に、
ニコニコプロレスチャンネルで不定期レギュラー放送されていた、
佐藤光留選手(&佐瀬さん)の『死なば諸共』。

いわゆる深夜ラジオのノリ全開に突き進むこの番組を、
“下水道民(しなもろ視聴者の総称)”の一人として視聴していたところ…
特別ゲストとして、実に唐突に。

プロレスラーにしてミス東スポ2016である
愛星ゆうな選手が登場することになりました。

※水着のまなせさんを佐藤光留選手が 自 前 の 
一眼レフでバシャバシャ撮るという
謎の時間を共有することになったのが、
ド深夜のノリで超面白かった。

「しなもろに出演した選手は売れる(?)」という
実に無根拠な法則が出来上がりつつあった当時、
この番組出演とはおそらく関係がまるでないとは思いますが、
その法則を裏打ちするかのように。

2ヶ月後、プロレス会場で再び、
その姿を目にすることとなりました。



個人的には2015年半ばくらいから大体定期的に観戦していた東京女子プロレス。

その東京女子プロレスの2017年初旬、
初進出となった練馬ココネリホール大会で、
愛星…改め、まなせゆうな選手が初参戦となりました。





[2017.3 練馬:最初の対戦相手は、のどかおねえさん]

そこからまなせゆうな選手は3年半。

おそらく、同じ団体に居た時間としては最長となる期間を
東京女子プロレスで過ごすことになりますが…

まなせゆうな選手の東京女子プロレス参戦を通じて感じたのが、
なんというか、“もっと”という感情。

もっと上に上がりたい
もっと後ろの試合順で試合がしたい
もっと色んな場所で試合がしたい
もっとベルトに挑戦したい

…言うなれば、欲。

その欲は満たされることなく、
でも、手を伸ばし続けている。
そんな姿を目にしていたような気がしています。



個人的には2018年9月の成増大会だったでしょうか。

とある試合を契機に、
まなせゆうなという選手への見方がガラッと変わります。

それは、ハイパーミサヲ選手と組まれた“ミスUSA決定戦”…

試合中、DA PUMPの「♪U・S・A」流れた際に、
よりそのUSA魂を発揮して踊り狂ったほうが勝利…
という試合。

発案したハイパーミサヲ選手も狂ってる(褒めてる)と思いましたが、
いきなりぶち当たった超変則ルールでまなせゆうな選手は…
踊り狂いました。
もう、見事に。

この試合は業界きってのアレ試合マスター、
高木三四郎大社長をして「やられた」と語るほどで、
個人的にも大変衝撃的な試合として、鮮烈に記憶に焼き付くこととなりました。



なんとなくこの試合前後からまなせゆうな選手の試合から
ひとつ“タガ”が外れたような気がしていて、
でも一方でやっぱり、どこか満たされない気持ちを抱えているようにも
見える部分があって。

なんとなく。
この時に、“ガンプロ向きだな”って思った記憶があります。

そして、そんな矢先に突如として勃興したのが…
昨年の個人的最優秀団体・ぽっちゃり女子プロレスです。



ガンバレ☆プロレス所属でぽっちゃり好き、
DDTの映像班も務める今成夢人選手の標榜する、
“公私混道”の成れの果てとも思われた、
まなせゆうな選手曰く“訳のわからない団体”の旗揚げ戦は…
おそらくは会場で目の当たりにした誰をもの意表を突く、
一人の女性の鮮烈なドキュメンタリー。

この興行がまたひとつトリガーになって、
東京女子プロレスでも東京プリンセスカップで次々と勝ち上がり、
最終的にはこの年の準優勝という結果を得ることとなりました。

第2回ぽっちゃり女子プロレスでもその存在感を遺憾なく発揮。
プロレス界での“父親”であるロッシー小川代表のメッセージに奮起、
あまりにも強靭なポチャミネーターT800に真っ向から立ち向かって
その“戦士”としての覚悟を認めさせると、
もしかしたら本人の望む形ではなかったかもしれないけれど、
9月には自身初となる(公式の)ベルト、
インターナショナルプリンセス王座戴冠を果たしました。

一方で。

この期間ある意味で狂い咲いているようでありながら、
どこかで“終わり”を意識しているようにも映り。

万喜なつみとのインターナショナルプリンセス王座戦で見せた、
アクトレスガールズ時代の赤のコスチューム、
「♪Last Act」と題した入場曲。

ぽっちゃり女子プロレスを経る前はどこかやはり迷いがあったようで、
同大会を「私の人生を変えるような興行」として挙げ、
リング上でその想いを吐露していたり。

デビューから7年、
“ラストスパート”とも語ったように、
どこかで意識していた“終わり”への思いが、
七夕の夜に形になったように思います。



で、だ。



この稿を立ち上げたのが当の七夕の夜だったわけですが、
その後、“ラストスパート”の舞台にまなせさんがガンプロを選んでくれたことに
個人的には心の中でも外でも超ガッツポーズをとりました。

今成夢人と翔太が真っ先に声をかけたこと、
今成夢人が「(プロレス人生を)燃やし尽くすにはこのリング凄く合ってると思う」と語ったこと、
そして「人生を変えるような」ぽっちゃり女子プロレス。

様々な要因、積み重ねがあったにせよ、
単純に好きな団体に好きな選手(しかも“向いてる”と思っていた選手)が、
所属となる事態は喜ばしい以外の何物でもない。

で。

そんな中で唐突に決まったのが、
ガンバレ☆プロレスビッグマッチ、
3度目となる、10.6後楽園大会。

発表されたまなせゆうな選手のカードは、
まなせゆうなvs彩羽匠。

この発表を受けてリング上でまなせゆうな選手はこう述べていたかと思います。

「ガンプロ夢を叶えてくれてありがとう!
匠さん、私、強くなりました!!」



大会に際して、二人それぞれのインタビューが
今成夢人選手をインタビュワーとして
ガンプロYou Tubeチャンネルに投稿されています。





スターダムでともにデビューを果たした、
1年先輩後輩の関係である両者の対決は、
“巡り合う星の宿命”と題されました。

語られたそれぞれへの想いについては…
ともにやはりどこか、“特別”なものを感じます。



彩羽匠選手はこの指名をどこか意外に感じていたことを
冒頭に語っています。

一方で、まなせゆうなという後輩について、
自身がプロレスラーになるために上京してきた“年下の先輩”で
まなせゆうなを“大人”に感じていたこと、
当時の入れ替わりの激しさの中で、大きな怪我を経ながら復帰したまなせゆうなに、
“プロレスが好きなんだな”と感じたことや、復帰してくれたことへの嬉しさ、
厳しい先輩の指導の中で空気を和らげる雰囲気を持った後輩に救われたこと、
そしてその後輩を通じて“魅せ方”の部分で学びを得たこと…

etcetc

とてもとても興味深い言葉が並んでいます。

長与千種のプロレスに憧れた彩羽匠選手は、
その後スターダムを離れ、Marvelous所属としてキャリアを重ね、
いまや、女子プロレス界のトップの一人。

後輩であるまなせゆうな選手とはその後の歩んだ道のり、
参戦している団体も異なります。

が、それでも。

彩羽匠選手の口から、「ぽっちゃり女子プロレス」の名前が
インタビューで語られています。

歩んだ道は別々でも、その眼差しは後輩へ注がれ続けていたこともさることながら。
トップを走る存在ながら、そのまなせゆうなのみちのりを
「自分にはできないこと」とも語り、ある種の敬意を示している、
その懐。視野の広さ。

今更いうまでもないのですが、
間違いなく。
彩羽匠という選手は、強い。
それも、最高に強い。



[2019.7.26:懐が深い]



インタビューの後半では、自身の歩んだ道のりとともに築いた、
“プロレスラー・彩羽匠”を…
“後輩”まなせゆうなが見たことのない姿を、
リング上で見せることを誓っています。



そのインタビューを受けて行われたと思しき
まなせゆうな選手のインタビューの中で、
vs彩羽匠という試合は“とっておき”であることが示唆されました。

“誰かやりたい選手がいるか?”
という問いに真っ先に名前を挙げたのが、彩羽匠選手。

ラストスパートと語った自身のキャリアの中でも、
とっておきのとっておき。
終わったあとに“スッキリ”してしまう可能性すら、示すほどの。



長身でスタイルがよく、
身体も柔らかくパワーがあり、
運動神経もいい。

“売り”になる要素がたくさんある稀有なまなせゆうな選手が、
辿り着いたのが、ラリアット。

ぽっちゃり女子プロレスのあとの石井慧介プロデュース大会で
“ラリプロ”に組み込まれたことを一つの契機に、
まなせゆうな選手はラリアットでぶち当たり、
ブレーンバスターでぶん投げるような、
シンプルな凄さを伝えるプロレスを
どこか目指すようになったように思います。

インタビューの中では今成夢人がその心情を代弁するように
“(まなせゆうなが)それでいいんだ”と気づいた…
というような表現をしていたように思います。

それに対して。

彩羽匠選手は「ラリアット嫌いなんですよ」という心情を、
素直に言葉にしています。

「苦手」ではなく、「嫌い」。

長与千種選手に憧れた彩羽匠選手にとって、
ラリアットは怨敵であるダンプ松本選手の、
ヒールの使う技。

如何に華麗な動きや気迫で流れや空気を作っても、
「右腕一本で」その作ったものを、砕いてしまう技。

それを聞いてさらにまなせゆうな選手は、
ラリアットで彩羽匠選手に立ち向かう気持ちを燃え上がらせます。

今成夢人選手が「令和の長与千種vsダンプ松本」とした形容はともかく、
一つの技が、それぞれの積み上げてきた物語の接点となり、
そして焦点となる。

迎える試合に、大きな楽しみが加わることとなりました。



まなせゆうなの“ラストスパート”。

具体的にこの先どのように展開されるかはまだ、
おそらくは本人の中でも決まっていないかもしれません。

それでも、明日のまなせゆうなvs彩羽匠は間違いなく、
意識されている“終わり”の一歩目。



“思い出作りではなく、あの日の続きを見せられる試合をしたい”



なればこそ、
続きは明日。

後楽園ホールの、リングの上で。







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