うっかり早寝をしたら超早起きをしてしまったので、
昨日、DDT後楽園大会で発売された、
『男色牧場classic vol.1 安部ユキヒロの憂鬱』を観た。
朝から泣いた。
ボクは安部ちゃんのファンだったからってのもあるかも知れない。
この作品に安部ちゃんの苦悩が語られている、というわけでもない。
それでも、一人の若者の『姿』がはっきりと描かれていた。
☆「安部ユキヒロの憂鬱」が出来るまで
このDVDは、DDTが通販限定の企画としてなにかやりたい、
ということで、
同時にプロレスのドキュメンタリーを撮りたい、
という希望を持っていた今成夢人・・・
「金的桜ヶ丘」の名を持った元・学生プロレスラーであり、
ガチ☆ボーイへの出演経験のある、映像表現者・・・
の申し出もあって、この企画が出来上がった。
プロデューサーには男色ディーノ、
アドバイザーには今成氏の大学の先輩である、
アントーニオ本多。
類まれなる二人の表現者とともに動き出した企画。
その被写体は・・・
DDTの若手レスラーであり、オタクレスラーとしての顔を持つ、
安部行洋。
GENTARO曰く「玉石混交」、入れ替わりの早いDDTマットにおいて、
若手の筆頭としてセコンド業務に励む一方、
その若手という立場からなかなか抜け出せずにいる。
オタクレスラーとしての開眼、
獅子一色の一員としてSTYLE-Eで奮戦し、
DDTではD-BOXの一員として活動・・・
しかし、
こうした浮上のチャンスが与えられていながら、
未だにそれを掴みきれておらず、
会社からしてみれば「ダメ」と評価せざるを得ないレスラー。
今回の企画はしかしそんな安部の浮上のきっかけに、
ということ狙いも、一方ではあったらしい。
ところが。
1月の終わり、安部ちゃんの選択が、
この企画とDDTプロレスに、大きな波紋を起こす。
☆感想1:若手プロレスラーの生活史
25歳・若手プロレスラー。
団体では若手の域を得ず、
試合数もさほど多くはない。
プロレスだけで生活できるかといえばそうでもなく、
年齢を考えれば、
『プロレス以外の世界も見てみたい』
という言葉が出て来るのはわかる。
ある意味、これから何かを初めてやり直していこう、と思えば、
別の事に触れられる機会としてはリミットの年齢だとは思う。
この作品の中で彼自身の言葉で退団理由が語られなかったけれど、
でもその理由を類推することはそれほど難しくはない。
その一方、
この作品を見終えてただ一つ残る疑問は、
『何故、退団の相談相手が飯伏幸太だったのか』である。
作中では「最も相談に向かない相手」と、
現場に居合わせた大社長、ディーノ、大家健に言われ、
一笑にふされてたけれど・・・
でも、
何故、飯伏だったんだろう。
仲が良かった?
2年間セコンドとして付き添ったから?
DDTのプロレスラーとして最も成功してたから?
最後の彼の号泣と、
飯伏の手を離さない(離せない)様子を見ると、
そこにあったのは本当に単純に憧れだけだったんだろうか?
まぁ最もそれは語られてないことである以上、
やっぱり類推することしかできない。
それでもあの行動、あの場面に、
一人の若手プロレスラーの生きてきた歴史が凝縮されていた。
『プロレスラー・安部行洋』の姿があったと思う。
☆感想2:「若者」達のドキュメント
「面白かった」って言ってしまっていいかわからない。
ドキュメンタリーとしても、
作者の感情がトコトンまでに移入してしまっているし、
もうドキュメンタリーなのかもわからない。
でも・・・
何だろう。
「感動した」が正解な気がする。
今回のこの作品は、あまりにも安部ちゃんが被写体として
(こう言っていいか微妙だが)素晴らしすぎた。
本音が見えにくく、かつ、苦悩を抱え。
その世代と職業からも今という時代を覗ける、
いわば歩く『物語』。
でも様々なトラブルに見舞われながら、
これを作品として成立させたのもまた見事。
この作品を創り上げた今成夢人は、
作品に対する思い、
安部行洋に対する思いをブログで語っている。
今成氏が非常に強く安部ちゃんに思い入れを持っていることは、
ブログの文章からも、作中の言葉からもわかる。
けれどそれ以上に、安部行洋というレスラーは、
ある意味ではすごくこの世代生きた人の「典型」。
年齢的にほぼ違いがないボクからしても、
彼が、いや、彼らが語る言葉には響くものがある。
他の世代から見て「現代っ子」という言葉や、
「ゆとり」として語られる行動原理にも、
理解できるところがあるし、共感できる部分がある。
安部行洋を通して見える姿は、
作者である今成氏自身の姿でもある。
と同時に、不安定な現代を生きる、
いわゆる(広義の)「若者」の姿を写している。
だからボクは安部ユキヒロの姿に自己を投影し、
この作品に心から感情移入できる。
☆安部行洋、その感情
「プロレスはさらけ出すこと」
作中でも何度か語られたこの言葉に、
僕自身はすごく同意する部分が大きい。
プロレスはなにより、感情のスポーツだと思う。
リング上で激しく感情をさらけ出す選手を応援し、
観客はその選手たちに感情をそのまま乗せる。
観客の感情を揺さぶることの出来る選手は、
単純な技術や強さを越えて、ファンの声援を集める。
一方で、プロレスが戦いである以上、
その感情は「前へと進む」ものであることが求められる。
「もっとこいよ!」
「いけ、いけ!!」
という声が、会場から、セコンドから響くことは、
それほど珍しくはない。
でも、感情は必ずしも前へと進むものだけではない。
流す涙だって感情ならば、
折れる心だって感情だ。
安部行洋はボクから見たらすごく感情豊かなレスラーだ。
でもそれは前へ進む闘争心でも、
あきらめの心でもない。
ただ、強くないかもしれない自分を奮い立たせ、
立ち上がり、前を向く。
やられるとわかってるけれど、前を向く。
やり返してやろうとか、
一泡食わせてやろうとか、
そういうプロレスラー的な感情ではないかもしれない。
でも、ただ立つ、ただ前を向く、
そういう類の強さだってある。
最後に、
(パワーボム、
からのアリウープ、
からのボストンクラブという超荒業を繰り出した)
卒業式の対戦相手がコメントをする。
「ボクが本当に欲しい、感情的な部分での成長っていうのは、
全然ありました。元々持っていたのかもしれないですけど・・・」
彼は自分の力で立ち上がれる。
何度だって立ち上がることができる。
だから、まだ、何だってできるはずなんだ。
この作品には、
DDTっぽい、笑い的な要素はない。
ほとんどない。
基本的には、あるがままの安部行洋の姿をとっただけ。
それでも、多くのDDTファン、プロレスファン・・・
いや、現代を生きる多くの人に観てほしい。
そしてそこには、不確かな現代という時代に生きる、
確かな一人の人間の足跡がある。
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