高校受験を間近に控えたあの日。
塾に通い、その塾の宿題に追われ、夜遅くまで勉強してた。
疲れると、ストーブの前で横たわり、そのまま朝を迎えることもしばしば。
1/14~16の三連休も、そんな生活だった。
でも、1/17は学校がある。
この日も遅くまで起きていて、あぁ今からやったら5時間くらいしか寝られへん。
と、風呂に入らず深夜2時ごろ床についた。
そしてそのわずか3時間半後。
最初の激震の90秒、本気で深い眠りに付いた僕は、その一番激しい揺れには気づかなかった。
で、気が付くと、ゴーゴーいう地響きとバリバリバリっていうなんかが割れるような
音が響き、自分も「うぁーうぁー」というしかなかった。
真っ暗な闇の中。
あんとき風呂に入っとけば・・・
その後1ヶ月風呂に入れなくなるとは思いもしなかった。
そんな細かいことも、未だ蘇る。1.17
まだ、ここはましなとこやった。
ただ、この町並みも、ほとんどがブルーシートで覆われた屋根だった。
ところどころ、ガスのにおいが道路の下あたりから漂ったりもしてた。
受験勉強前ということで、家の壁の亀裂にシリコン注入したりして
雨漏り対策を脚立に上ってやってみてたけど、
親はそんなんせんでええから勉強しろ、と言ってくれた。
そやけど、受験直前だったし、もう勉強なんか、どうでもよくなってた。
自分は親のおかげで、受験もそのまま無事に通った。
先生たちは、東灘から垂水まで歩いて学校まで通ってた。
僕の中学に赴任する前にいた学校の教え子が、その親が、どんどん訃報で読み上げられるNHK教育。
それを職員室でひたすら見続けていた先生。
卒業式、学校に避難してた人も、体育館を提供してくれた。
その卒業式、僕らを前に、校長が泣いていた。
そして15歳の春を迎えることができた。
みんなありがとう。
その後、いろんな苦難はあるし、それで終わったわけじゃない。
震災から2年たって、家を建て替えた。
そんとき、うちの母親は引越しの荷物をまとめるとき、
階段から落ちて靴箱の角に頭から衝突。
死ぬ、と叫んだらしい。
でも頬骨を折ったのみ。
生きてくれてて良かった。
いろんな病院をたらいまわしにされたけどね。
明舞に住んでる祖父母の家。
布団で寝てる祖父に向かってタンスが転倒。
その直前、テレビが祖父の頭に転がり込んできた。
タンスは転がってきたテレビの上に倒れこみ、テレビは押しつぶされた。
そのテレビとタンスの隙間で、祖父は助かった。
震災から2年後、母親が顔面の手術が終わり、退院した頃、祖父は亡くなった。
でも、震災からの年月は貴重だった。
生きてることは幸せだ。そう感じる日。1.17
神戸新聞の一連の震災記事を読んでると
こんなに悲しみを抱えて生きている方の言葉には、胸が詰まる。
謹んで哀悼の意をここに表します。
塾に通い、その塾の宿題に追われ、夜遅くまで勉強してた。
疲れると、ストーブの前で横たわり、そのまま朝を迎えることもしばしば。
1/14~16の三連休も、そんな生活だった。
でも、1/17は学校がある。
この日も遅くまで起きていて、あぁ今からやったら5時間くらいしか寝られへん。
と、風呂に入らず深夜2時ごろ床についた。
そしてそのわずか3時間半後。
最初の激震の90秒、本気で深い眠りに付いた僕は、その一番激しい揺れには気づかなかった。
で、気が付くと、ゴーゴーいう地響きとバリバリバリっていうなんかが割れるような
音が響き、自分も「うぁーうぁー」というしかなかった。
真っ暗な闇の中。
あんとき風呂に入っとけば・・・
その後1ヶ月風呂に入れなくなるとは思いもしなかった。
そんな細かいことも、未だ蘇る。1.17
まだ、ここはましなとこやった。
ただ、この町並みも、ほとんどがブルーシートで覆われた屋根だった。
ところどころ、ガスのにおいが道路の下あたりから漂ったりもしてた。
受験勉強前ということで、家の壁の亀裂にシリコン注入したりして
雨漏り対策を脚立に上ってやってみてたけど、
親はそんなんせんでええから勉強しろ、と言ってくれた。
そやけど、受験直前だったし、もう勉強なんか、どうでもよくなってた。
自分は親のおかげで、受験もそのまま無事に通った。
先生たちは、東灘から垂水まで歩いて学校まで通ってた。
僕の中学に赴任する前にいた学校の教え子が、その親が、どんどん訃報で読み上げられるNHK教育。
それを職員室でひたすら見続けていた先生。
卒業式、学校に避難してた人も、体育館を提供してくれた。
その卒業式、僕らを前に、校長が泣いていた。
そして15歳の春を迎えることができた。
みんなありがとう。
その後、いろんな苦難はあるし、それで終わったわけじゃない。
震災から2年たって、家を建て替えた。
そんとき、うちの母親は引越しの荷物をまとめるとき、
階段から落ちて靴箱の角に頭から衝突。
死ぬ、と叫んだらしい。
でも頬骨を折ったのみ。
生きてくれてて良かった。
いろんな病院をたらいまわしにされたけどね。
明舞に住んでる祖父母の家。
布団で寝てる祖父に向かってタンスが転倒。
その直前、テレビが祖父の頭に転がり込んできた。
タンスは転がってきたテレビの上に倒れこみ、テレビは押しつぶされた。
そのテレビとタンスの隙間で、祖父は助かった。
震災から2年後、母親が顔面の手術が終わり、退院した頃、祖父は亡くなった。
でも、震災からの年月は貴重だった。
生きてることは幸せだ。そう感じる日。1.17
神戸新聞の一連の震災記事を読んでると
こんなに悲しみを抱えて生きている方の言葉には、胸が詰まる。
謹んで哀悼の意をここに表します。
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