イヨ、サラバ

一日一生〜胃なし生活の記録〜

2016年大花火大会

2016年08月03日 | 術後7年~

今日のお出掛け弁当。
炊き込みごはんのおにぎりに
茹でとうもろこし、ピリ辛きゅうり、唐揚げ。
それから特売でたくさん買った卵で煮玉子。
煮玉子っていうか味付け玉子か。
「いっちょ頑張って」と昨日書いた割には
茹でるだけ、漬けるだけ、の簡単弁当になってしまった。
頑張ったのは‘ちょん’リクエストの唐揚げくらい。

シートと座布団、食料を積み込んで、18時半過ぎに出発。
打ち上げ会場近くまで行って観る割に
年々家を出る時間は遅くなっている。
なぜこの余裕かと言うと
ほぼ確実に車を止められる場所があるから。
一通の通りを入ったとあるアパートの横。
案外知られていないのか
その通りはこの時間に行ってもまだ余裕がある。
よそ様の家の前はさすがに良心が咎めるので、いつもそこ。
「申し訳ありません」と心の中で思いつつ止めさせてもらっている。

そして歩くこと十数分。
ウオロクの前はもう道路解放されいて
シートを広げた見物客でいっぱい。
でもなるべく近くで観たいので、ダメもとで更に先まで行ってみる。
すると「この先もまだ空いてまーす」と警備員の声。
進んでみれば大手大橋のすぐたもとはまだ広々余裕がある。
今年はいつもより前に場所を取ることができた。
ウオロク近くに人が多いのは、トイレが近くて便利だからかな。
とにかくあの人混みを見て諦めず、前まで行ってみて大正解。

それからはお弁当を食べながらゆっくり花火観賞。
何度見ても間近で観る大迫力の花火は最高。
近いと色味や光の速度が一層鮮明に伝わってくる。
‘ちょん’のお気に入りは鮮やかな黄金色。
煌めきが華やかで美しい。
‘ぼんこ’のお気に入りは何色もが一度に開くタイプ。
花が咲いたようで可愛らしい。
母はどちらも好き。
新旧の花火が相まって、いつの世も長岡花火は私たちを魅了する。

長岡花火、こぼれ話。

其の一、
私たちの観ていた辺りには
「ひとり分でも空いていれば」と来る人が多い。
仕事帰りや、出張のついでなど
ビジネスバッグを提げたサラリーマンが
ひとり腰を下ろしてビール片手に花火を観ていたりする。
私たちの横には、お父さんと小さな男の子の二人連れが一組。
「ちょっと行ってみようか」くらいなつもりで出てきたのか
「ここいいね~」
「おばあちゃんも連れてきてあげればよかったね」などと言っている。
男の子が「お母さんもね」と言うと
「それはちょっと無理だけどね」とお父さん。
仕事かな?具合が悪いのかな?
「来年はみんなでここに来ようか」
そう言ってフェニックスを観て帰って行った。

其の二、
反対側には関西のおばちゃん二人組。
お姉さんかな?暗かったので不明。
初めての長岡花火に、ひとつ上がる毎に大歓声。
周りは地元人でそこそこ静かなので
二人の歓声がかなり目立っているんだけれど
喜んでもらえて嬉しいし、誇らしい。
旦那がペンライトを点けてプログラムを見ているのに気付き
ひとり漫才のように喋りながら
「次大きいのが上がるとき教えて」と言う。
聞いていていちいち面白い。
フェニックスに大感激し
せっかくの三尺玉に電柱が重なってがっかりし
天地人花火でまた大盛り上がり。
「来年また来るわ~
 …って、実はもう数ヶ月前から住んでるんですけどぉ」
なんと今は長岡住民らしい、チャンチャン。

其の三、
先月のいわいうたやさんのメルマガ、
『花火』というお題で、長岡花火について調べて知ったこと。
正三尺玉打ち上げ前にサイレンを鳴らすのは
戦争の記憶をなくさないため。
長岡の花火は慰霊の念と平和への希望が込められている。
今月の詩とコラム、お題は『ひまわり』


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