すっかりクリスマスシーズンになりました。
この時期にお出かけするの好きなんですよ。
イルミネーションを見るのも好きですが、買い物に出かけると、あちこちでクリスマスソングがかかっている。
どれも大好きです。
つい、一緒に歌ってしまう。
ちなみに、個人的にはジングルベルロックとラストクリスマスが好き。(趣味丸出し)
そのままつられるようにして、家に帰ってきてからクリスマスソングを聴いてたりもします。
が、あちこち検索しているとたまに目に入る歌詞の和訳で、つい「もったいないなー」と思ってしまうのですよ。
ある程度英語に慣れると、頭の中で日本語にしなくても「イメージ」として受け取れるようになります。
わざわざ日本語に押し込める必要はないと思うんですよね。
むしろ、押し込めてしまうと固くなってしまう。
でもまぁ、和訳するってーとそうはいかない。
「日本語で表現」となると、日本語に当てはめる必要はどうしても出てくる。
ただ、英語の文章を日本語に訳した時って、文章がぎこちなくなるものが多いように思う。
きっと、元々使っている「単語」を意識するからなのかなーと思います。
この単語はこういう意味。だから、日本語のこの単語が入る。
そういう訳し方だと、文章が「辞書で調べた単語が並んだ」ようなものになってしまう。
そういうのを見かけると、「もったいねーっ」と思ってしまうんだ。
正しい言葉を並べるならば、訳さず英語のままが一番確実。
そのままずばりがまさに並んでいるわけで。
日本語に置き換えている時点で、既に元とは違っているのです。
ならば、何も辞書にある単語をそのまま置く必要はないのでは、と。(※)
辞書にある言葉をそのまま持ってくるよりも、元の文章を見た時に
「自分がどう感じたか」
それを表す方が、よほどその人らしい素敵な文章、素敵な訳になると思うのです。
「is」という単語を、必ずしも「~です」としなければいけない訳ではない。
日本語の表現でも、語尾一つとったってそればかりではないでしょ。
もっと広い受け取り方をして、豊かな表現をしてみるのもいいのではないでしょうか。
同じことを、人狼の考察でも思う。
同じものを見ても、受け取り方は人それぞれ。
そして、表現の仕方も人それぞれでいいと思う。
決まった単語などない。
そして、決まった枠に当てはめることもないと思うのです。
大事なのは、その人の感性。
対象を見て、どう受け取ったか。
その気持ちを忘れずに、自由に表現するのが何より楽しいと思うんだ。
言葉とは、もっと自由なものである。
そう思います。
翻訳に関しては、あくまで個人として好む訳し方を取り上げております。
異論のある方もおられるとは思いますが、ご了承ください。
※これに関しては、言葉の「正しさ」と「文章表現」
どちらを優先するかという個人の考え方にもよるかと思います。
言葉を愛する一個人の考えとして、受け止めていただければ幸いです。
この時期にお出かけするの好きなんですよ。
イルミネーションを見るのも好きですが、買い物に出かけると、あちこちでクリスマスソングがかかっている。
どれも大好きです。
つい、一緒に歌ってしまう。
ちなみに、個人的にはジングルベルロックとラストクリスマスが好き。(趣味丸出し)
そのままつられるようにして、家に帰ってきてからクリスマスソングを聴いてたりもします。
が、あちこち検索しているとたまに目に入る歌詞の和訳で、つい「もったいないなー」と思ってしまうのですよ。
ある程度英語に慣れると、頭の中で日本語にしなくても「イメージ」として受け取れるようになります。
わざわざ日本語に押し込める必要はないと思うんですよね。
むしろ、押し込めてしまうと固くなってしまう。
でもまぁ、和訳するってーとそうはいかない。
「日本語で表現」となると、日本語に当てはめる必要はどうしても出てくる。
ただ、英語の文章を日本語に訳した時って、文章がぎこちなくなるものが多いように思う。
きっと、元々使っている「単語」を意識するからなのかなーと思います。
この単語はこういう意味。だから、日本語のこの単語が入る。
そういう訳し方だと、文章が「辞書で調べた単語が並んだ」ようなものになってしまう。
そういうのを見かけると、「もったいねーっ」と思ってしまうんだ。
正しい言葉を並べるならば、訳さず英語のままが一番確実。
そのままずばりがまさに並んでいるわけで。
日本語に置き換えている時点で、既に元とは違っているのです。
ならば、何も辞書にある単語をそのまま置く必要はないのでは、と。(※)
辞書にある言葉をそのまま持ってくるよりも、元の文章を見た時に
「自分がどう感じたか」
それを表す方が、よほどその人らしい素敵な文章、素敵な訳になると思うのです。
「is」という単語を、必ずしも「~です」としなければいけない訳ではない。
日本語の表現でも、語尾一つとったってそればかりではないでしょ。
もっと広い受け取り方をして、豊かな表現をしてみるのもいいのではないでしょうか。
同じことを、人狼の考察でも思う。
同じものを見ても、受け取り方は人それぞれ。
そして、表現の仕方も人それぞれでいいと思う。
決まった単語などない。
そして、決まった枠に当てはめることもないと思うのです。
大事なのは、その人の感性。
対象を見て、どう受け取ったか。
その気持ちを忘れずに、自由に表現するのが何より楽しいと思うんだ。
言葉とは、もっと自由なものである。
そう思います。
翻訳に関しては、あくまで個人として好む訳し方を取り上げております。
異論のある方もおられるとは思いますが、ご了承ください。
※これに関しては、言葉の「正しさ」と「文章表現」
どちらを優先するかという個人の考え方にもよるかと思います。
言葉を愛する一個人の考えとして、受け止めていただければ幸いです。