2022年11月下旬、入院していた父は退院し、自宅でターミナルケアの訪問看護を受けることになり、自宅療養を続けてきました。
その父が2022年12月6日(火曜)に旅立ちました。
以下、Facebook投稿を転載します。
テキストで転載します。
Mon père est parti ce matin. Je veux lui dire merci jusqu'à aujourd'hui. 今朝、父は旅立ちました。これまでありがとう、と父に言いたいです。Facebookで色々ご心配をおかけして申し訳ありませんでしたが、ありがとうございました。
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こちらのいくつかのブログ投稿でも、皆様にご心配をおかけして申し訳ありませんでしたが、これまでありがとうございました。
ところで、生前、よく「○○(さん)は、オレの誕生日近くに亡くなって、オレに「忘れるな」って言っているようだ」と言い、そういう奇遇?な巡り合わせがいくつもあった父。
そういう父が旅立った12月6日に、私に(または周囲に)何か意味を残したのかどうかを考えました。
私の誕生日が11月28日で、最初はそこに照準を合わせようとした?と覚悟をしていましたが、そこは無事に乗り切り、突然、12月6日の旅立ちとなりました。
はて?
周囲の方々にとっては何か別の意味ある日かもしれませんが…
私の家族にとっては、私の妻のお父様(私の義父)の遠い命日と同じになりました。(また、音楽に詳しい妻の話では、モーツァルトの命日と同じとのこと。)
父2人の命日が同じ月日になったことは、偶然かもしれませんが、私たち家族(妻子)はこれから12月6日は先祖に感謝してお参りし、新たな気持ちを抱く日になるだろうと考えています。
そして、現実的には、偶然この葬儀の期間中は子の学校で個人面談があり、授業は午前中のみとなり、部活動は休止です。
子は、通夜当日の午前は通学し、夕方から葬儀の準備ヘ。告別式当日だけ学校を休みます。部活動(吹奏楽部)では、子にとってメンバー(グループ)内で大事なソロパートを担当することになっていますが、習い始めてまだ半年で四苦八苦している中、今回の葬儀でそこに影響することは恐らくなく、「練習に穴を開けることはないから、難しいソロパートも頑張れよ」と父は選んだかも…などと、勝手ながら個人的にそのように受け止めています。
今回、いわゆる「家族葬」という葬儀形態を取りますが、急遽、親戚に参列いただくことになり、また、私も含めて参列される方々のお仕事や学校関係でご無理をお願いすることになります。申し訳ありませんが、宜しくお願いいたします。調整いただけることに感謝申し上げます。
以上、このブログにお付き合い下さり、ありがとうございました。