心の鎧
人間には自分の目の前、自分が意識して接する人や物事には意識を向けることができる。
しかし、自分の目の前の範囲の意識外のことが、背後や意識外からやってくると、様々な反応を起こす。
わかること。
受け入れたいこと。
わからないこと。
受け入れ難いこと。
なので、わからない対応があると、その本人に悪意はまるでないのだが、予期せぬ反応をされてしまうことがある。
しかし、これも、発信する相手の思いやタイミング次第では、受け入れてもらうことができる。
世の中大変便利にありがたくなったもので、SNSでは自分の意見を公に発信することができる時代になったものだ。
ただし、この恩恵を履き違えた輩も多く、
特に文字から伝わるものには、言外の意味を受け止める度量や推測力のない人も多く、
なんでも法律に触れない範囲ならば自由に物がいえるため、
お互い背後に抱えた痛みを分かち合おうという意識には残念ながら、欠けてしまう。
国レベルの出来事で見ていくと主義主張の全く異なる国家が70年前に終えた筈の武力を用いて、孤立させられるという恐れの元に、表現や思想のちょっとした違いで、終わらない殺し合いが世界で起きて1年弱過ぎた。
どちらの主義陣営に共感するものがあるとしても、他違いのちょっとした違いに敏感になり、恐怖というものに支配されているために、
分かち合いすらも忘れてしまい、悲劇が起きている。
戦いはいつ終わるのだろうか?