モデルとなった少女「岩崎きみ」は明治35年7月に静岡県清水市(合併後の静岡市)で生まれました。
きみの母岩崎かよは未婚の母としてきみを育てていましたが、のちに知り合いである鈴木志郎と再婚をします。
きみが3歳の時、当時開拓地として注目されていた北海道の開拓農場へ入植します。
しかし、開拓生活の厳しさもあり、かよは娘・きみの養育を函館の教会で知り合ったアメリカ人宣教師のヒュエット夫妻に養女として託すことにします。
「赤い靴」のモデルとなった女の子は、異国へ渡って暮らしているようになっています。
しかし、女の子は外国へは行けませんでした。
きみが6際の時、ヒュエット夫妻はきみを連れて、アメリカへ帰国することにしました。ところが、きみは病気「結核」にかかっていることがわかりました。
ヒュイット夫妻は仕方なく、きみを鳥居坂協会の孤児院に預けアメリカへ帰っていきました。
それから、3年後の明治44年9月15日、9歳になったきみは異国に渡ることなく日本の地で死んでしまいました。
母親のかよにはヒュエット夫妻と一緒にアメリカに渡ったという事実しか聞かされておらず、日本で結核で亡くなったことは知らされないままかよは生涯を過ごし、そして、昭和23年に亡くなりました。
岩崎きみとその母かよの悲しい物語を知った人たちの呼びかけで、1986年(昭和61年)に静岡県清水市「現在の静岡市」の日本平に2人の銅像が造られました。きみが亡くなってから75年後に母と娘はやっと再会できました
あかいくつ はいてた おんなのこ いじんさんに つれられて いっちゃった
横浜の埠場から 船に乗って 異人さんに つれられて 行っちゃった
今では青い目に なっちゃって 異人さんの お国にいるんだろう
赤い靴見るたび 考える 異人さんに 逢うたび 考える