新学期… この春から ちょ~っと忙しい私
でもって ガッツリ パティとエースと遊べなくて 少々イライラ気味の私
今日は予定ないわ~ 遊べるわぁ と 思うと 雨 ナンデヤネン
最近 竜ちゃんの事で よく聞かれる様になった
私に聞いてくる人は 大抵が若いダウン症のママさん達
私も よく 先輩ママさん達に相談してたから 気持ちは解る
なので 今日は雨で暇なので 竜ちゃんが産まれた時の事を書こうと思う
前から 書いてみようかな と 思っていたんだけど こんな話しも どうなん?とか思って中々書き出せないでいました
竜ちゃんは難産で 中々産まれてこなくて
この時点では 病院も私も誰もがダウンちゃんとは知らなかった
話しは それるけど
今 病院では 用水検査を進める所もあるみたいで
簡素して言うけど
じゃ 検査して解ったら ど~するの?? 難しい問題
20時間近く で やっと産まれた竜ちゃん
泣き声?? ない!!
かろうじて オギャ~ と 1度だけ
竜ちゃんを抱えて 皆が出ていき 看護士さんと 私二人だけになって
しばらくの間 二人きり
長く感じた その時に パパさんが入って来て
『 頑張ったな! 』 と
『 赤ちゃんは ?』
『 お産が長かったから今先生が見てくれてるから…元気やから心配するな 』
黄疸があるからと ケースの中にいた竜ちゃん
当時 授乳をするのに 時間になると授乳室に お母さん達が呼ばれて それぞれが産まれたばかりの我が子を抱いて授乳をしていました
私は 【 この時点では私はまだ竜がダウンちゃんだと知らないです 】 皆が抱いて授乳している、その隣で1人で搾乳器で、ケースの中に入ってる竜ちゃんの為に母乳を絞ってました
その時 つらかった 皆が赤ちゃん抱いているのに
常に 看護師さんが 私の横にピッタリ居て その時に
『 ●さんのお家に行ってもいいですか? 』 おかしなことを聞くな ~ と思い
『 どうして? 』
『 どんな 子育てをするか見てみたいんです 』 と 今 思えば この時私だけがダウンちゃんだと知らずにいて 周りは皆 知っていたから こんな事を言うたんだと
でも なんか ムカつく
1週間がたち まだ 竜は ケースの中 1度も抱けず ガラス越しに 見るだけ
突っぱねていた私だけど ある日 ガラス越しの前で ボロボロ1人で泣いていたら
看護師さんが来て 私が 『 なんで あの子ケースからでられないん??』
って 泣きながら聞くと
先生にお話して 貰いましょか?
と 言うので 私は即お願いしました
先生に そのときに 初めて ダウン症 の 《 疑い 》 が あります と 言われ
バカな私は ダウン症 と 言う 言葉さえ知らず
そしたら その 先生 わざわざ 白紙の紙に ダウン症は 目はこうで 耳はこんなで唇はこんな 顔 の って 書いてくれました
『 この本お貸ししますから勉強してください 』 と 本まで持たされて
考えたらメチャクチャ失礼なことを する 先生だわ
ここからが 大変
私は 即 家に電話をして 『 今、先生にダウン症って言われたんやけど ダウン症ってなに?? 』
この 電話で 私の親 パパさんの両親 パパさん 皆が 総出で 病院に来て
ホントは 産まれた時に 皆 知っていて 私には落ち着いてから話そうと病院にもまだ 私には言わないで欲しいと 頼んでいたそうです
竜ちゃんの染色体検査を するまで ダウン症の疑い と 言われていたので
皆は この検査 まで 私には 内緒に しておこうと 話し合っていたそうです
後で パパさんが言うには
医者には 疑い言われるは 私には お産で頑張ったなって 笑顔で言わないとあかんはあの時程 辛い事なかったって
この時 心房中核欠損で 2ヶ所 穴があいて 心臓の雑音があった 竜ちゃん
ようやく竜ちゃんが 退院出来たのが 1カ月後 私は 本来1週間で退院なんだけど 無理を言って2週間いました
竜を残した2週間 毎日 家で 搾乳をして それを持って毎日」病院に通いました
竜が生後3ヶ月のときに 心臓の検査と 染色体の結果を聞きに病院に行きました
待たされること3時間
『 先生に3人目の子供さんが産まれて先生帰られましたんで また 日を改めてもらいますか 』
と 予約にもかかわらず 3時間も待たされ 看護師に この一言だけ 言われての帰宅
ほんとに この時ほど ムカついた事はない と 言うぐらい 皆 怒りまくり
後日 改めて 腹立つけど その 先生に会いに
染色体は 21トリソミー ダウン症です
裁判の判決が 最悪の結果で 淡々と先生がダウン症について 話すけど 全く聞こえない と 言うより 頭に石を落とされた感じで 頭がまっ白状態
心臓は 雑音もなくなって 穴が塞がっている って いわれた
今だから言うけど 今は移転してないけど 大きな総合病院 失礼な看護師に医者 でした
家に帰って来て 裁判結果 が 出るまでは 可愛くて
それが その日は 竜を 抱っこしたい しようとも 思わなくて ひたすら泣いていて
そんな私を 今は亡き 父親が
『 お前 泣いてるのに 抱いたらんかい 』 『 いやや こんな子 』
『 アホか ほんなら お前荷物持って帰れ お父さんが この子 育てるから帰れ お前みたいな奴 親になんかなれるか 』
と 荷物 投げつける ほど 怒られて
その音に また泣き出した 竜
思わず 抱っこすると泣き止んだんです
そしたら お父さんに 『 お前みたいな奴でも この子は母親やおもとんや しっかりせえ 』 って 言われて
まだ そのときは 正直受け入れらない私が居たけど でも かわいい と は思いました
そんなこんなで 竜ちゃん 社会人
これから 私達 親も 年を取って 小さい時の悩みより 今からの方が悩みは大きくなると思うけど
なるようになるさ で 頑張らないとね
でもって ガッツリ パティとエースと遊べなくて 少々イライラ気味の私
今日は予定ないわ~ 遊べるわぁ と 思うと 雨 ナンデヤネン
最近 竜ちゃんの事で よく聞かれる様になった
私に聞いてくる人は 大抵が若いダウン症のママさん達
私も よく 先輩ママさん達に相談してたから 気持ちは解る
なので 今日は雨で暇なので 竜ちゃんが産まれた時の事を書こうと思う
前から 書いてみようかな と 思っていたんだけど こんな話しも どうなん?とか思って中々書き出せないでいました
竜ちゃんは難産で 中々産まれてこなくて
この時点では 病院も私も誰もがダウンちゃんとは知らなかった
話しは それるけど
今 病院では 用水検査を進める所もあるみたいで
簡素して言うけど
じゃ 検査して解ったら ど~するの?? 難しい問題
20時間近く で やっと産まれた竜ちゃん
泣き声?? ない!!
かろうじて オギャ~ と 1度だけ
竜ちゃんを抱えて 皆が出ていき 看護士さんと 私二人だけになって
しばらくの間 二人きり
長く感じた その時に パパさんが入って来て
『 頑張ったな! 』 と
『 赤ちゃんは ?』
『 お産が長かったから今先生が見てくれてるから…元気やから心配するな 』
黄疸があるからと ケースの中にいた竜ちゃん
当時 授乳をするのに 時間になると授乳室に お母さん達が呼ばれて それぞれが産まれたばかりの我が子を抱いて授乳をしていました
私は 【 この時点では私はまだ竜がダウンちゃんだと知らないです 】 皆が抱いて授乳している、その隣で1人で搾乳器で、ケースの中に入ってる竜ちゃんの為に母乳を絞ってました
その時 つらかった 皆が赤ちゃん抱いているのに
常に 看護師さんが 私の横にピッタリ居て その時に
『 ●さんのお家に行ってもいいですか? 』 おかしなことを聞くな ~ と思い
『 どうして? 』
『 どんな 子育てをするか見てみたいんです 』 と 今 思えば この時私だけがダウンちゃんだと知らずにいて 周りは皆 知っていたから こんな事を言うたんだと
でも なんか ムカつく
1週間がたち まだ 竜は ケースの中 1度も抱けず ガラス越しに 見るだけ
突っぱねていた私だけど ある日 ガラス越しの前で ボロボロ1人で泣いていたら
看護師さんが来て 私が 『 なんで あの子ケースからでられないん??』
って 泣きながら聞くと
先生にお話して 貰いましょか?
と 言うので 私は即お願いしました
先生に そのときに 初めて ダウン症 の 《 疑い 》 が あります と 言われ
バカな私は ダウン症 と 言う 言葉さえ知らず
そしたら その 先生 わざわざ 白紙の紙に ダウン症は 目はこうで 耳はこんなで唇はこんな 顔 の って 書いてくれました
『 この本お貸ししますから勉強してください 』 と 本まで持たされて
考えたらメチャクチャ失礼なことを する 先生だわ
ここからが 大変
私は 即 家に電話をして 『 今、先生にダウン症って言われたんやけど ダウン症ってなに?? 』
この 電話で 私の親 パパさんの両親 パパさん 皆が 総出で 病院に来て
ホントは 産まれた時に 皆 知っていて 私には落ち着いてから話そうと病院にもまだ 私には言わないで欲しいと 頼んでいたそうです
竜ちゃんの染色体検査を するまで ダウン症の疑い と 言われていたので
皆は この検査 まで 私には 内緒に しておこうと 話し合っていたそうです
後で パパさんが言うには
医者には 疑い言われるは 私には お産で頑張ったなって 笑顔で言わないとあかんはあの時程 辛い事なかったって
この時 心房中核欠損で 2ヶ所 穴があいて 心臓の雑音があった 竜ちゃん
ようやく竜ちゃんが 退院出来たのが 1カ月後 私は 本来1週間で退院なんだけど 無理を言って2週間いました
竜を残した2週間 毎日 家で 搾乳をして それを持って毎日」病院に通いました
竜が生後3ヶ月のときに 心臓の検査と 染色体の結果を聞きに病院に行きました
待たされること3時間
『 先生に3人目の子供さんが産まれて先生帰られましたんで また 日を改めてもらいますか 』
と 予約にもかかわらず 3時間も待たされ 看護師に この一言だけ 言われての帰宅
ほんとに この時ほど ムカついた事はない と 言うぐらい 皆 怒りまくり
後日 改めて 腹立つけど その 先生に会いに
染色体は 21トリソミー ダウン症です
裁判の判決が 最悪の結果で 淡々と先生がダウン症について 話すけど 全く聞こえない と 言うより 頭に石を落とされた感じで 頭がまっ白状態
心臓は 雑音もなくなって 穴が塞がっている って いわれた
今だから言うけど 今は移転してないけど 大きな総合病院 失礼な看護師に医者 でした
家に帰って来て 裁判結果 が 出るまでは 可愛くて
それが その日は 竜を 抱っこしたい しようとも 思わなくて ひたすら泣いていて
そんな私を 今は亡き 父親が
『 お前 泣いてるのに 抱いたらんかい 』 『 いやや こんな子 』
『 アホか ほんなら お前荷物持って帰れ お父さんが この子 育てるから帰れ お前みたいな奴 親になんかなれるか 』
と 荷物 投げつける ほど 怒られて
その音に また泣き出した 竜
思わず 抱っこすると泣き止んだんです
そしたら お父さんに 『 お前みたいな奴でも この子は母親やおもとんや しっかりせえ 』 って 言われて
まだ そのときは 正直受け入れらない私が居たけど でも かわいい と は思いました
そんなこんなで 竜ちゃん 社会人
これから 私達 親も 年を取って 小さい時の悩みより 今からの方が悩みは大きくなると思うけど
なるようになるさ で 頑張らないとね
悩み、苦しみ、葛藤、あったんじゃないかな?
だけど見事にそれを跳ね除けて、
今は慕われる素晴らしいお母さん。
竜ちゃんはここのおうちに生まれて大正解だったと思います。
当時 若かったから 周りの視線や 親戚とか の ささいな 何気ない言葉に傷付き悩みしてました
それが今じゃ もう~ 根性スワルスワル! 意地悪婆さんになりつつある私σ(≧ω≦*)
年取って来て
悩んだって、しゃ~ないやん!!辛いのは私じゃなくて竜ちゃんやねん
この子守らなあかんやん!!
なるようにしかならない ってポジティブ思考になってしまいましたよ (*^_^*)
いやぁ! パティやエースも我が家に来てよかったって思ってくれてるかなぁ (o^_^o)
子供も大事だけどパティやエースも大事だわ~♪
子供が四人いるのです 私
σ(≧ω≦*)
一緒~一緒~のところがたくさんありましたぁ~
何個か違う点は、だいちゃんにはもうちょっと合併症があったことと、お医者さんが良かったこと…
ありえん、医者じゃなぁ~
まだ、現役なんじゃろか? その医者…
私のブログで書いた、何の説明もなく施設に行け…と言われた赤ちゃん…
何日か後に
医療ミスで亡くなりました
明らかな、医療ミスでした…
悔しい思いを うちらの時は まだたくさんしたね
今は情報がたくさんあって昔ほど、辛い思いをすることが少ないように思うんだけど…
どうだろう…
でも、うちらよりもっと前の先輩方は、もっともっと苦しんで来てるよね…
今は辛いけど、笑い飛ばせる日が必ず来るからね
って、若いお母さんには伝えたいね
笑い飛ばして頑張ろう~ヽ(*´∀`*)ノ.+゜
で、ワンコに癒してもらおう
あ~パティーちゃんとエース君に逢いたい…
て、事は私に文才があるかと?ウフ (*´д`* ( ソウデハナイネ
サリーさん も 同じでした??
判を押した マニュアル的なダウン症の解説
短命 心臓疾患 他 合併症がある、体が柔らかい、首の頚椎の事
今だから 言える事は
適当な 事 言うてんじゃないでヽ(*`Д´)ノ オラオラ
確かには間違いじゃない
だけど 若かったし 無知な私は 聞いたら聞くだけ 落ち込み 悩み 泣き …
それがね 1才から3才まで、毎日療育園に通ったのです
そこで 私は代われました
当時の先生?? さぁ?どうなんやろ? 若かった気がするから、まだ現役ではないのかなぁ??
3時間待たされた時に、
『そりゃ、他人の子供より我が子が産まれた方が大事でしょうよ』 って イヤミを言ってしまいましたよ
私達より そ 先輩ママさん達の方が大変だったでしょうね
家から出す事も許されず
嫁なら親戚とかに イヤミを言われてね
え? パティとエースに会いたいですか??
さくらガーデンに行く時に会えたらいいですね!?
凄いな・・・
うちの子(人間)は、生後3ケ月の時、保健婦に言われた一言
この子は、歩くことはもちろん、はうことも、座ることすらできません。
えっ 頭の中は真っ白になりました。
何が何だか解らないので、行きつけの小児科の先生に相談したのですが、問題無いと思うけどなぁ でも一応精密検査しましょうか?
と言って、須磨の子供病院を紹介して頂きました。
そこで、目にした光景は今も忘れることができません。世の中にこれ程の障害者が居るんだって それも中途半端では無い子供たち
検査の結果、全く問題無し との事で ほっと胸を撫で下ろし、その事を保健婦に伝えた所、いとも簡単にそれを却下
病院の先生は、異常者しか見ていないので、解らないんです。この子は、歩けません
その後、そのような子のトレーニングを行う施設で、訓練を行うこと2ケ月。
やっと、そこの先生に見て頂くと、問題無いから、もう来なくても良いって
いったい何だったんだろう
1歳年上の長女と比べて、発達に遅れは全く無いどころか、早かったのにね。
その後、3歳児検診の時、保健婦の一言に切れたんです。
奇声を発するのは、どうなりました?
えっ?この子奇声を発した事って、一度も無いんですけど。
いいえ奇声を発するって、なってるんです。
何ですか、それ いい加減にしてほしいわって、言ってやりました。
その後、今はおっさんになった長男の足は、全く問題無いですよ。
だって、歩けないって、判断したのは、グーをしたとき、親指が下になっていたからだそうです。笑うでしょ~
お前は医者か!って、言うてまいそうやわ!!
【異常者 】 って
よ~そんな言い方平気で出来るなぁ
保険婦の資格ないわ~(-_-#)シバクゾって感じだわ
イヤイヤ('∇')
五体満足に産まれて来たから そんな言い方が出来るんやわ
物の言い方気をつけよ!!って私やったら言うわ~!!
障がい は 【害】では ないよ!!【個性】なんです!
後ろ向いて 下向いていたって しょうがないからね(^^ゞ
でも 一番最初に産まれた赤ちゃんが そう言われたら 不安になるよね!!