MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



三軒茶屋の整形外科に通うようになってから、世田谷通りと246の間にある三角地帯を通り過ぎることが増えた。

 

この近辺に住むものでなくとも、三軒茶屋にあるこの三角地帯は知られているのかな。いずれにしても、おいらにとっては近過ぎて家に帰ってしまうこともあり、この三角地帯には実は行き付けなんかは一軒もない。やれ、安うまだの、芸能人がよく来るお店だのと、話はよく聞くし、飲みに行ったことがない訳ではもちろんない。寧ろ何度も行ったことあるが、店員やら、店長を知っていて行くお店がない、と言うだけの話。

 

街のサイズ的に勝手においらが思っているだけのカテゴリーだが、渋谷や新宿などの主要エリアをAランクとすると、下北沢、いや敢えてシモキタや、中目黒、いやこちらも敢えて中目、そして三軒茶屋、もちろん三茶と略して呼ばれる『B級』タウンがとても、好き。

 

そこに愛着のある人から言わせると、勝手にB級タウンとか言うなと言われそうだが、この略称が付くこの3つの都内西部の街が居心地良すぎ。最近シモキタには行かないが、高校2年からの東京生活、浪人1年目、2年目と河合塾に通った時から好き過ぎて。中目はいつぞやから、六本木でも、西麻布でも、恵比寿でもなく、中目に流れ着いてきて、あの近辺が落ち着くなと思ったのよね。池尻に住んでいたときは特によく行ってたし。今は敢えての駒沢に家を買ったが、これは三茶と三宿が近かったから。住んでるのは駒沢なんだが、東京知らない人とかにはたまに三軒茶屋と言うと通じたりするのでそう言ったりするくらい。

 

そんな大好きな街の三茶にある三角地帯。

 

まだ世田谷線が渋谷の方に路面電車として繋がっていた時代とかは知らないし、新玉線と呼ばれていたが、学生時代にその呼び名がいつぞやから田園都市線と名称変わったりしたが、三軒茶屋は三軒茶屋。大山街道の休憩地としてお茶屋が三軒あったから、となると古い街なのは直ぐに分かる。もちろん、世田谷線が通ったのはそんな何百年も前ではないことは明らかだが、この三角地帯にきっと相当古くからあるこの看板は、三軒茶屋の歴史を見てきたのかなと。そう思うとなんか敬礼したくなったのよね。見守り続けてくれていたのかな、と感謝の気持ちも含めてね。この看板書いたのは誰なんだろう?申し訳ないが決して達筆な訳でもなく(苦笑)、ひょっとしたら消え掛けた文字色を誰かが上書きして濃くしたのかも知れない。真相は知る由もない。それで良いんだが、ふと前から知っていたこの看板に急に立ち止まって見てしまったので、パチリと撮ってみた。

 



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