MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



2016年1月31日朝10時23分、祖母が他界しました。

享年95歳でした。

水曜日は午前中千葉でMTGだったのでそのままお見舞いに行き、その後一度都内の家に帰宅。
木曜は終日都内でMTGでしたがその後覚悟をして喪服として着るスーツをタマタカへ仕事後に買いに行きました。
金曜はクライアントにMTGをリスケさせてもらって、裾直しをしたスーツを持ち、奥さんを東京駅で拾ってまた千葉へ。その日の晩は小康状態にあったので一度帰宅をしました。泊まることを前提として着替えなども持って行っていたのですが、そのまま置いてきました。
土曜は諸々用事を済ませて奥さんと共に再び千葉へ。そのまま土曜日は千葉に泊まり。


1週間に3回も千葉に行くと流石に道だけではなく高速道路から見える風景も覚えてきます。。。


土曜日の夜から「痛い、痛い」と訴える声が障子を挟んですぐ隣の部屋から聞こえていましたので、気になって全然寝付けず。サッカーのオリンピック予選の決勝の試合を観た後でしたから、2時40分頃には床についたのですけど、ずっと寝れないまま。。。日曜日の朝、8時前位に起きた頃、様子がおかしかったので、朝から掛かり付けのお医者さんに往診に来ていただきました。その後落ち着いた様子だったので、リビングで眠い状態のまま暫く待っていたら10時過ぎに状況がおかしくなりましてね。


同じお医者さんに2回目の往診に来てもらい診て頂きましたが、最期は泊まっていた家族全員で看取る事が出来たのかな、と。。。


奥さんと土曜日の晩泊まって本当に良かった
。人生で、目の前で誰かが亡くなると言うのは初体験ですが、その初めての経験が自分の最愛のおばあちゃんでした。。父方の祖母の時はあまり覚えていないですが、病院だったと思います。今回、ちょっと精神的に耐えなければ、と思って暫くは涙も出ないままでいましたが、1人でおばあちゃんが安置されている部屋に行くともう涙が止まりませんでしたねぇ。。。昨日、葬儀屋さんが来て、2月2日のお通夜、2月3日朝の告別式などの段取りをしている時は淡々と確認事項を決めていけたのですけどね。。。化粧師の方が綺麗に整えて、いわゆる死に装束と呼ばれる白い服に着替えさせたあと、枕経をあげてもらいその日に済ませるべきことは全部終えたので、一度準備のために都内の家に帰る前、「一度帰るね」って言葉に出した時からもう身体を震えさせて泣いてしまいました。。。。その前の晩は生きていて何らか反応があったんですけど、もう夕方に枕経をあげてもらったあとは冷たくなっていましたんでね・・・。


朝8時の段階では温もりがあり、皺々の手を握ったら反応がありましたからねぇ。。。


自宅で亡くなると言う事は即ち家族でお世話する事を意味しますが、叔父、叔母、従姉妹を含め生前よりおばあちゃんのお世話をずっとしてくれた事に感謝しています。うちの母親の姉家族はずっと生前のおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に暮らしていてくれましたからね。おじいちゃんは31年前に亡くなりましたが、その後もおばあちゃんはずっと千葉の伯父、伯母の家で暮らしていましたのでね。伯母は結局生まれてから70年間ずっと一緒に暮らしたそうな。伯母が結婚してからもずっとおじいちゃん、おばあちゃんは一緒でした。


お医者さんも言ってましたが、95歳で亡くなりましたが、おばあちゃんはこうやって自宅で家族が最期に見送れて幸せだったと思います。




結局、今回の件では入院してませんのでね。 もっと若ければ体力もあり、手術を含めてなんらかの措置を取れたのかも知れませんが、このような高齢ではそれは望むべくもなかったのかな、と思います。それに、おばあちゃんと伯母との約束で最期は自宅でね、と言うことがあったようです。家族の愛情と、病院の看護師とでは申し訳ないが前者の方が色々と気を遣って看病できると言うものです。勿論、医療的な知識はありませんけども。おばあちゃん、本当の最期は苦しんでなかったと思うし、いつも居たおばあちゃんの部屋で亡くなりましたので。


天寿を全うする、と言いますがまさにそう言う状態だったのではないですかね。


母方のひいおばあちゃんは、おいらが小さい頃に亡くなりましたが、今回亡くなる時のおばあちゃんの顔を見て、ホントそっくりになったなぁと思いました。やはり遺伝なのでしょうね。おいらのおばあちゃんはどちらかと言えばふっくらした顔つきでしたが、最後の一週間は食べ物は受け付けず、水のみだったと言うことで、栄養が取れませんでしたのでほっそりと痩せてしまいました。これも致し方無いのでしょう。後から考えて別に後悔など全く無いと思いますが、病院であれば点滴などを打ったのかも知れません。。それでもそこまでして数日、数週間先延ばしと言うことで苦しみが増すことを選択させることはなかったのはおばあちゃんにとっては良かったのだと思います。ガン治療とかでは使用するモルヒネなんかは今回入院していたら使用されていたのかは分かりませんが、ある意味身体にとっては劇薬を入れて、痛みを感じないように神経系を麻痺させるようなことをしてもなんだか切ないと言うか、、、結果論しなかったことで個人的には良かったと思っています。


伯母の家族を含めて、おいらの両親もやれることは全てやったと思うので。


これが家族で看取ると言うことなのですね。。。自分より年長の人は普通に寿命を全うすれば自分より先に亡くなります。その時に何処でどのように亡くなるのか、中々選択をすることは出来ないことが多くなっていると思います。約束を果たして、自宅で大往生を遂げられたのはおばあちゃんにとっても良かったことだと思いたい。


ありがとう、おばあちゃん。
今まで可愛がってくれてありがとう。

天国で、31年前に亡くなったおじいちゃんの隣に行けるね。
安らかに眠ってくださいね。
僕はずっとずっと忘れませんよ。

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