名古屋の中でも有数の中学校だったため、他の中学に行けば軽くオール5だったのだけど(実際河合塾の中学グリーンコースの中ではたまに全国ベスト10とかに入るくらいだったんだけどねぇ。。。)、学校内での競争が激し過ぎて内申点が高くなかった中学時代。
何か、うちの塾の奴らで内申点を分け合ってる感じだった(苦笑)。
僕が通った名東高校には、自分の通っていた中学の学区内だったこともあって相当優秀な奴らが集まっていた。勉強も出来る奴が多かったけど、サッカーが出来る奴も多かった。そのときのサッカー部の顧問はホント見た目はどう見てもヤ○ザ。高校生の前なのに、スッパスパ、タバコ吸いまくって、アイドロップのサングラスを必ず掛けていた大久保先生。夏合宿のときなんてホント鬼かと思うくらい厳しかったけど、サッカーやってて楽しい時期だった。
そんな高校も親の都合で1年生から2年生の時に東京の高校に転校せねばならなかったんだけど、高校1年生の時は色々と楽しかった。
GKをやってみようと思ったのは、人と違うユニ着たいからではなく、練習メニューを自分で考えられてフィールダーとは違う形でゲームを作れると思ったから。おいら自身は決してゴールゲッターとかになりたかったのではなく、そこまでのプロセスをどう作って最後まで見届けるか、って言うのが性にあってるんだと思う。実際、最後の美味しいところを持っていかれたとしても未だに何とも思わん。。だからかねぇ、仕事でもコンサルとかを選んだりしたのはね、、、(苦笑)
ここで、ボール追い掛けていたときはホント純粋だったと思う。。何かそう言うことを思い出させてくれた。そしてこのたった1年間しかお世話にはならなかったのであるが、このサッカー部の顧問の先生にはホントお世話になった。
純粋にサッカーが好きだった。
そして僕らを強くするために鬼になってくれたあの先生にはホント感謝している。だからこそ大学4年の時に一度名古屋へ行った時には高校までわざわざ行って挨拶をしてきた。そしてMilanoに行く前にも電話で連絡をして、サッカーの仕事に就きたいと思うから、Milanoの大学院に留学します、と伝えた。快く背中を押してくれたのはあの先生だったんだ。
因みにこの高校、02年に高校総体に出てるんだよね。
おいらたちの時よりも強くなっていたんだね。。。
うわっ、クラブハウスですね。
懐かしい…
たしかにO先生はやくざ。
卒業文集のひとことがなぜか「バナナ食え」でした…
いやある意味羨ましいですな…。
夏のクソ暑い時に、バナナなんて食べれるわけもなかったのですが、合宿の時のランチタイムに牛乳、プロテイン、バナナを食えって言われましたね。。
まさに鬼でしたな…。。。