MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



人に頼らずに生きるなんてこと、絶対に無理だと思っておるので、何らか人との絡みと言うことを踏まえた人生を過ごすのは当たり前なんだが、結果的に何かが生み出されるとは限らないことを前提にするべきか、なんかそんなことを考えたりしていて…。

 

例えば公園🏞で、四つ葉のクローバー🍀を発見出来たとする。珍しいとは思うが、一般的には5000分の1から1万分の1の確率らしい。見つけられると嬉しいと言う気持ちの為に、公園で1万分の1の確率を前提に探し続けるか、と言われると、今までの人生で探したことは一度もない事に気付く。

 

それならば、その労力の代わりに貰うとか、、、と、とんでもなく人の労力を踏み躙っている気がするのでそんなことを言い出すのもなんか嫌。

 

仮に四つ葉のクローバー🍀を貰ったとしても、見つけられた!と言うラッキーさの喜びもなく、結果だけ、四つ葉のクローバーを貰ったとて、そのラッキーさは付いてこない気がするのよね。なので、なんかそれなら四つ葉のクローバーを持つこと、探すことをしないでも、良いかなと思ってしまうのよね…。

 

これは興味の問題なのか、鼻からラッキーさになど興味がないのか…。

 

ところで、もっと手近かなところで、世田谷線🚃の猫電😸と言うちょっとしたラッキーアイテム的な?位置づけの電車がある。いや、思っているのはおいらだけやも知れぬ…(苦笑)。

いや、しかし、2日くらい何処かの駅で世田谷線を眺めていたらほぼ必ず見られる。四つ葉のクローバー🍀より遥かに出現率は高い。そんな暇ないけど。。。猫電ら毎日は走ってないらしいが、その情報は駅に行けば分かる。およそ、四つ葉のクローバーよりも簡単に出会えるラッキーアイテム。いや、これ、ホントにラッキーな話か?と疑いたくもなる。

踏切待ちしていたら、三軒茶屋の駅から猫電😸出てくるとなると、こりゃラッキーかな、とは思ったのよね。

なんか、ふとした時の偶然のラッキーさレベルとして、猫電で嬉しくなるのなら良き?猫電は頻度高いはずなのだが、普段、電車に乗らない身からすると、こんなことで?なんか心が軽くなる。。。ってことは、ちょっと精神的に疲れているのかねぇ。。。

 

毎日、色々と考えごとが多過ぎて疲れているのは間違いないな。でも、やっぱり自分で何かを切り拓くこと以外では喜びは感じられないんだな、と思った。生涯、ずっとこのペースでやり続けるのはしんどいが、ラッキーさに何かを求めるくらいなら地道さ、の方が余程、しょうに合ってる気がするな。

 

頑張れってことか。。。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 『Peach Frapp... 『どれだけPea... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。