今朝方、保育園へ行きたくないとゴネたらしいみらんくん。
直接は聞いていないが、どうやら自分の一人での遊びに拘りがあるようだ。保育園で1人でブロックで遊びたいと言うことらしい。これは我儘と言うより、学年が上がり、その部屋にはブロックがないことに起因していることは理解している。
それ程彼としてはブロック遊びをしたい、と言うことらしい。
確かに須走のセカンドハウス🏘に居る時のブロックの遊びは色々と駆使して、かなり彼なりの遊びを確立しているように見える。それがなんであれ、ストーリーを独自に展開し、我々に楽しそうに話をしてくれる姿は微笑ましい。
そんな彼も月曜日になれば保育園に行ってもらって一日過ごしてもらっている。どうであれ、我々的には、平日日中にみらんくんの相手を一日中するのは無理である。
これは愛情の問題ではない。
愛情は人一倍みらんくんに注いでいる。
現代社会で一定以上の生活環境を形成したり、親個人としての仕事を通じての自己実現であったり、様々な形で働くのは最早必須事項である。田舎の古臭い思考性に捕らわれて、保育園に行かせるのは可愛そう、だなどと子育ての世界観が昭和で止まっているような言説もあったりするようであるが、そういう考え方を持ちたければ持てば宜し。他人に言うなと言う話。下らない非科学的な物言いとなればなるほど、一人で呟いていてくれと思う。ましてや他人への強要など以ての外である。幸いなことにそういう愚かな行動をする輩は周りには居ないので、無駄な労力は使わずに済んでいるが。
少し話が逸れたが、彼なりに保育園に行くこと自体はある意味ルーティン化されているものと捉えてくれてはいるようなのだが、そこでのQualityを彼なりに求めていることに対して、どれだけ親がフォロー出来るか、と言う状況になっている。
なるべく一人で遊びたいと言う気持ちは分からんではない。だが、保育園と言う社会生活の中で学べることも当然あろうかと思うので、通っている時間の間、ずっと一人と言うのもどうかなとは思う。まぁ、現実的にお迎えに行った時に一人で遊んでいることはそこまで多くないので、誰かしらと何かをしている時間の方が実際には長いと思う。
となると、彼なりに親と一緒に居たいという気持ちを何らか『合理的』に考えた時に、様々なケースを紡ぎ出して理屈を唱えているだけの可能性はあるような気もする。詰まり、我儘である。
こんなこと言ってみたら、保育園に行かなくてママとずっと居られるかしら、と言う実験的なことの可能性も充分にあると思う。3歳児の知性、侮ってはなりますまい。ちゃんと考えているのよ。穴だらけだとしても。
多分、一過性のことだと思うが、彼なりの論理構成を、大人として親として、きちんとそれだけではない形で保育園で過ごして欲しいと思っているんだよ、と愛情を込めて話をすることが、何にせよ必要なんだろうなと思う。
どのような形でその話をするべきかはちょっと迷うところではあるが、今日の夕方にお迎えに行った後、パパと話をしよう。
保育園に預けている間でも、君への愛情に些かも欠損はないのだよ。
全身全霊で君を愛しています。それは忘れないでね。
愛してるよ、りゅーたん❤