MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



Notting Hillの住んでいたマンションのベッドルームの写真。

 

ここの窓側に座ると野良無線が普通に繋がったんよね。で、外から帰る時に見上げると、あ、奥さんが座ってる、って、見えたりしてね。まだ結婚してないけどさ。でも、Londonから帰国する前に、マーブルアーチにあったJALホテルのbarでプロポーズして、2人で生きて行こうって決めてた。最後に2人で色々とEuropeを廻って、いそいそとパッキングして、帰国した。この直前は、Italiaを皮切りに、チェコ行ったり、Austria行ったり、ハンガリー行ったりしてね。奥さんの誕生日の日にはViennaでお祝いしたりして。Londonに戻ってからもうあっと言う間に日本に帰国だったな。

 

アホ程荷物抱えて、Heathrowに行くために呼んだジャンボタクシーの運ちゃんが、『え、マジ?これ、航空会社から拒否られるだろ?』って、引くくらい幾つもスーツケース引っ提げて帰国。普通のスーツケースに換算しても6つはあったと思う。。。1つ1つのスーツケースが重過ぎて死にそうな思いしてJALのカウンターへ。いくら払えば乗せてくれる?って、残りのpoundを握り締めて。。。そしたら、1つ1つが重過ぎるから、JAL指定の段ボールに入れ替えたら運んであげる、って。JALのファーストクラスカウンターの前で、JAL指定の段ボールに入れ替えてみたら、それだけで9つ。それぞれがMAX20kgだったかな。あとは、スーツケース、ガーメントバッグ、ダッフルバッグ、コロコロ、と1人で幾つ預けるの?って言うくらい預けた。どうしても、Wedgwoodの食器くんたちは手荷物にしてね。搭乗前に、税金還付の手続きして、ゲートまで走った。冬物コートが入り切らなくて二枚重ねて着て走った…w。そんなこんなで、やっとの事で帰国したのが2005年9月30日。

 

懐かしいなぁ。

 

またLondonに帰りたいな。今の方が、その時よりも奥さんを好きですねぇ。毎日、奥さんの事が好きになるからね。昨日より、今日の方がね。London時代より、数千倍好きかも。



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