1979年の日本でのユース大会の時、おいらは6歳で、まだそこまでサッカーが何か、と言うことは分かっていなかった。
その当時の日本にはサッカーなんて言う競技はあたかも存在しなかったかのような状態だったと思う。野球、一択。我々世代が最初に買ってもらうスポーツ用品と言えば、グローブが相場。サッカーボールを買ってもらうなんて言う友達は周りには居なかったが、おいらは青いサッカーボールを買ってもらった。その時の心理としては、間違いなくマラドーナと言う存在があったと思う。時、1980年代にサッカーをテレビで観戦出来ることなど、正月の天皇杯か、ダイヤモンドサッカーくらいだったその時代、その後小学生のおいらにはそこまでの情報収集能力はなく、どこのクラブチームでマラドーナが球蹴りをしていたのかなんて、知る由しもなかった。
82年のワールドカップの時には、NHKにかじりついて見ると言うようなことは我が家では許されておらず、最初に観たのは86年のメキシコでのワールドカップ。
アステカスタジアム。時差の関係で夜中に一人で観ていた。小学校6年の時。夏まで野球部、夏以降はサッカー部に全員移籍すると言う変わった仕組みを取っていた名古屋の部活動で、その時は既にサッカー、一辺倒だった。
その当時、サッカーをしていたおいらの中の神はマラドーナ。
神の手、5人抜きを生中継で観ていたおいらは、感動を超えた感情を覚えた。
34年も前の話だが、今でも鮮明に。
間違いなく覚えているのは、最初に買ってもらったのが、Pumaのサッカースパイク。マラドーナが履いていたからだ。スタッドは取替式。今のような固定式ではなかった。なんかそれがカッコ良かったから。黒の革に白いPumaのライン。親は同じPumaだとしても、黄色のラインが入ったスパイクを押していたが、内に秘めた思いは、マラドーナと同じデザインと言うものだった。勿論、全く同じものは高くて買ってもらえなかったのだけども。
Napoliやバルサでの活躍は、Milanistaのおいらには関係ないチームと思っていた。が、やっぱりあの衝撃を超えるゲームは中々なく、94年のワールドカップで薬物違反で追放された時まで、水色と白のユニフォームでの輝きは色褪せることはなかったなぁ。カニーヒアとのコンビ、もっと観ていたかったんだけどなぁ。
悪童と言うには年齢が上がりすぎていたが、ずっと危ういことをし続けていた、Diego…。
それでもね、好き以外の感情はなかったんだよなぁ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
死後にはなってしまうが、きっと、スタジアムや空港など、公共の施設にあなたの名前が付けられることでしょう。
歴史上の偉人として、スポーツ、サッカー界を超えた存在として語られるべきスーパースター。
まだ早かったよ…。
謹んでご冥福をお祈りします。
ありがとう、Diego。