明けましておめでとうございます。
2008年からまだ2時間。Gundamを見ながら2009年は始まりました(笑)。43話一気に放送!しかし流石に0時から21時間連続で見るのは無理…。後は断腸の思いでいつかまた別の機会にしましょう。と言うか実家に行ってAnimax見るしかないなw。冗談はさておき、2008年の振り返り。
振り返れば2008年は僕にとって相当大きな年だったと思います。全く考えてもいなかった独立をしてしまったので。起業希望者とはおよそ言えないおいらが独立するなんて自分でもビックリです。
2007年度から年度が明けるまでいたHコンサル会社。自分史上最低な会社でした。たった9ヶ月しか在籍しなかったけど、どんな時でも仕事は真摯にすべきであるがコンサルは協業できるレベルの人とでないとできない、と言うただ一つそのことを学んだだけでしたね。。。元accentureの正直とてもレベルの低い、コンサルとは言えない単なるシステム屋に踊らされ続け、自分自身を苦しめた。人間的にも本当に心底最低な輩でした。。。ビックリするくらいお金に汚く、クライアントからのbudgetを私的に使っている様なある種、背任行為に近いことを平気でする輩が数人いた。accenture出身者ばかりがそう言う輩だったのはたまたまかも知れないが、Deloitteにいた時のaccenture出身者とは本当に質の異なるクズばかりでした。孫子兵法にもあるが、撤収するタイミングを見誤れば、どんなに優秀な奴でも戦死する。やるだけやってそれでもダメであれば後はどのタイミングで撤収するか、それを考えることがとても重要である、と言うことを痛感した。突進だけしていればそれで良い訳ではない。信頼できない人たちとはコンサルできない。誰から何と言われようとそれは事実だ。少ない時間の中で有効的に時間を使う必要がある。個人的には日〇コンサルを辞めて正解でした。
実はこの時期、別の人間から3つくらい誘われていた。
A:そのうちの一つのイベント会社もどきの奴らは完全にこちらから切り捨てたが、仕事のやり方として完全に2流いや3流以下だった。よくあんな姿勢であの会社に発注するなぁ、と。とある関西のJリーグのクラブは彼等に発注していたが、恐らくその後とても揉めると思うな。こちらは何もobligationは無かったが、一緒に仕事をしなくて良かったと思っている。見極めはとても重要だと改めて思ったよ。言葉は悪いが、はっきり言わせてもらう。学歴などは関係ないがやはり高度なことをしようと思えばそれなりの仲間が必要なのである。仕事の流儀や仁義の問題で裏切ったり、先走って恩着せがましいことを言われ自分の活動に完全に支障を来たした。これは全く本意ではなかった。ある意味完全に打ち手を間違えそうになったよ。これは個人的な経験則であり絶対ではないのだが、コンサルは一人ではできない。これが3月、4月を過ぎ、5月くらいまで続いた。理屈にならない理屈を聞いてやることは苦痛以外の何者でもなかったが、仕事をする上で貴重な時間をどう有効活用するか、これは非常に重要なことであると痛切に感じた。早目に切って良かったな。
B:水面下でもう一つの会社の手伝いと言うことで精力的にドイツのアプリケーション会社の日本法人設立に向けて営業をしていた。これで一度ベルリンに出張をしたりした。何度かここを乗り切れば順調にいける、と言うポイント、スレッシュホールドがあったのだがやはり個人では限界があった。わざわざベルリンまで出向き、パートナー契約をしようとしていた会社の社長、取締役2人と英語、ドイツ語、イタリア語でのMTGの間、こちらが手伝っていた会社の社長は完全に方向性を見誤り、途中から生きる屍であった。何度も何度も手伝っていたがいつしか限界を感じたのも事実だ。ここでは3月までいたダメコンサル会社時代の教訓がしっかり生きていた。最終的には、4月にその手伝いをしていた会社がある銀行から1000万円の融資を受けたがなんと7月にはキャッシュアウトさせたその時点で見切った。と言うか、その資金を個人的に使い切ってしまったのである。。タダではコンサルはできない。月間運用コストは人件費などの固定費を入れてもせいぜい100万円程であったろう。しかしそいつは持ち逃げした。勿論おいら個人には何ら債務返済義務などなかったのであるが逆にこちは債権を回収できない状態に陥った。正直その時のおいらには痛い金額だった。
C:3月にダメコンサルを辞める前に水面下で活動していたうちの一つに結局乗らせてもらった。パラダイムを変えること、フレームワークをきちんと事前設定してその中で解を導き出すことに全力で挑むスタイルは共感、共鳴できるものであったが、やはり胡散臭い感じが最初からしていた。周りに聞いていくと完全に嫌われていたりするのであるが、これは現場を知らず、かなり上から目線で戦略とかを表面上で語るからであった。実際、発注Jリーグ本体から発注直前に本郷のOfficeであとはサインするだけ、と言うタイミングで梯子を外されたりしたが、この元電通マンへのハレーションやアンチぶりは想像を超えていた。。発注しない理由が、Jリーグ内で彼に発注する事を蛇蝎の如く嫌っている人からの横槍であった。
とは言え少ないながらも恩恵は受けた。
そのうちの一つであるが、4月から始まった多摩大学大学院MBA公開講座のSports Management Schoolでの講師としての経験は非常に有意義なものであった。いくつかの学びもあった。自分ひとりだけではやはり限界があるが、ファンクションごとに適正リソースを適正タイミングを図りつつアプローチする、と言うのが必要だと。
ただし、その後は決して順調ではなかった。コンサルと言うのは10件投げたら1件当たれば確率は高い方だ。
しかし10件も当たれるほどリソースがないことが2008年の痛いところだった。いわゆる営業力と言う意味では全くと言って良いほどリソースショートであった。これはホントに痛かった。しかし理想ばかり言っているのはおいらのスタイルではない。現実的に、今、目の前の事象に対してベストを尽くすために周りを如何に巻き込んででも解決していくか、そう言うことを走りながら考える良い機会だった。ただ一方で関わり方を最初からきちんと決めておくべきだったと言うのが一連の動きの中で得た反省だ。
8月以降は立命館大学のSMSで講師をしたりしていたが、それ以降は非常に苦しい時期を過ごした。結局のところ、浦和レッズからの発注を頂けたが、この元電通マンは社長に対して喧嘩を売ると言うか、かなり上から目線のメールを送り、社長、部長から浦和レッズに出禁になったのであるが、その一方でおいらは地道な努力をしたおかげでその元電通マンの会社ではなく、おいらの会社に発注したいと言って頂けた。あんなスタンスでは何れ世間から干されると思うし、表面的な物言いだけで上手いこと進んで行けると思えない。もしそうだとすると、世間は甘い事になってしまう。そうであっては行けないと思う。かなり地道な努力をした結果、現場の担当部長と社長から信頼して頂いたのは信頼醸成の賜物だと思う。やはり、真摯に仕事をせねばならないと言う事である。
この頃から奥さんには非常に苦労を掛けたと言うか、心配をしてもらった。またそれだけではなく、本当に色々な意味でサポートをしてもらった。そう言う意味でおいらは何者にも換え難い大きな〝パートナー〟を得ていたことを改めて痛感したものだ。
2009年は、自分の立ち位置をきちんと見定め、求められる役割に対してはベストを尽くしていこうと思う。また会社としても自分なりのポーとフォリオを適切に組み、複数案件に対して常に目を留め置き同時に遂行していきたいと思っている。
これからもよろしくね!
ぜひ、
昨年は、本当にお世話になりました。
今年も宜しくお願いいたします
こちらこそ今年もよろしくねー。
あのケツバット痛そうだねぇ。。。
今年もよろしくです。
何事からも学び、反省を活かし、常に逃げずに果敢に立ち向かうKENさんの姿勢はすばらしいなぁ。。。と新年の日記に感銘をうけました。
私もその姿勢に学ぶもの多しです。
今年もよろしくお願いいたします
何事にも真摯に全力で、クライアントファーストで仕事して行きたいと思っていマース。
今年も是非ぜひよろしくです。
僕も今年は学生とサラリーマンの2足のわらじを履き続けます
(予定。。。いつクビになるか分かりませんが)
KENさんの行動指針や活躍そのものが、僕にとって非常に参考にかつ刺激になっています。
またどこかでお会いできる機会を楽しみにしています。
本年も宜しくお願いします。
ここ最近、東京から大阪に転勤やらで移住してる友達が多いんですよねぇ。義妹は逆に大阪から東京に帰還しましたがw。
いやーそれにしても僕にとってはゆうすけさんの考え方や行動の起こし方こそ刺激になりますよ。お金も時間も労力もかかるのにシカゴやらシンガポールに通うなんて!!ちょっと普通の人の行動力ではないですからぁぁ!!(懐かしの陽区風)
今年もどうぞよろしくお願いします。