MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



ネットで読書感想文を売買しても違法でないので、結論的には個々人のモラルの問題になりますわな。

ICUは、マスプロの講義がかなり少なかったので、システム的に無理だったけども、誰しも「代返」ってしたことないんですかな?これ、似たようなものかと思ってます。親に授業料払ってもらっていて、余程のことがない限り、授業くらい出ろって話です。おいらは、ICUに入るまでに二浪もしているし、その分金かかっていたから、授業サボるなんて考えもしなかった。と言うか、そもそも、大学で勉強出来ることが何よりも楽しかったからね。NABと言う勉強会のサークルを浪人時代に開いて、月一とか月二くらいで勉強会していたくらいだし。NAB自体はあとを継いだヤツの中でやっぱり勉強レベルが三流の輩がいたので、潰れるだろうなぁと思っていたら潰れたけどさ…。その時思ったよね、やっぱり勉強はある程度以上自助努力で、独りでしなければならないな、と。


因みに、個人的には代返の依頼をしたこともないし、依頼されたこともない。

単位を取るためには、欠席が3分の1を超えないことが必須だった。遅刻2回で欠席1回扱いだったし。15人前後、20人くらいの講義が多かったので、代返なんて出来るわけ無かった。何故なら講師がその場で名簿を読み上げて返事をする、と言う仕組みだから代返なんて出来るわけもなかった。いや、多分、ICUが特殊過ぎる話であって、大概の大学生、特に我々世代は皆、代返をしたことあるんではないのでしょうかね?その辺りには「モラル」を感じたことはないんでしょうか?あ、10年、20年前の話なので、時効です、と?いやいやいや、法律論ではないので、モラルには時効はないんです。あの時の代返はOKで、読書感想文の売買はOKと言う話は完全に矛盾をしている、訳です。


斯く言う私、色々と学生時代にやったことあります…。


自分の講義の時のノート、価値化させてましたからね。時にそれでご飯奢らせたりしていたし。それくらい価値があったと自分では思っていたし、価値がなかったら対価は払わないでしょうからね。どう言うことかと言えば、講義の時にはノートに教授の板書を写しますわな。それをワープロで3行にスペースを分けて、一番左に板書の内容を打ち込み、真ん中に図書館で関連した書籍を書き写し、その上で右側に自分の考察を考えて打っていた。それを同じ講義を受けている人に10人程に配ったりしてね...。それでお互い勉強したりしてた。そう言うことはモラルの問題で言えば良くなかったのかなぁ?、と今となっては思うけど。。。完全に自分のためにやっていたものを、人にその価値を共有して全体の底上げをしようとしていたけど、勉強は自分でするもの、と言う観点からすれば良かったのか悪かったのか…。


個人的には、読書感想文くらい自分で書け、と思うし、そもそも売買を自分で考えて行動したならばある程度褒めてあげても良いけど、どうせ子供のために親がやってるんでしょ?


ひょっとしたら、子供にせがまれて親が書くのも面倒だし、書く脳力がそもそも無かったりしたところ、読書感想文を出品すると言う愚かな行為に乗じた愚かな親が出てきた、と言うことでしょうか…。ま、良いこととは思わないが、最悪、親なら自分で書け、と。。。外の人の読書感想文を買う、なんて発想、どこから出てくるのか…。

読書感想文に何の意味があるのかとか、そう言うことではないんだよね…。

須らく、小学生くらいのカリキュラムがその後の人生に役立つか、なんてこと考えたところであまり意味はない。役立てるかどうかはその後の教育の中で、自分で考えられるようになることで、血肉になる筈だから。読書感想文が人生に役立つ要素だったかどうかなんぞ、単位がマイクロ過ぎて考えたところで仕方ないと思う。嫌でもやらなきゃ馬鹿レベルは変わらないんだから。。。日本では、識字率は100%近くても、文字を読んで、その考察を出来るようにならなければコミュニケーション出来ないままになるでしょうな。。だからと言う訳ではないが、本くらい読むべきだし、その後に読書感想文くらい書けと思う。うちの親は、勉強しろって言ったこと多分ないけど、勉強を手伝ってくれたこともない。一瞬だけ英語を母親が教えると言ってきたが、あまりにも稚拙な教え方だったのでこちらから即刻拒否をした。やっぱり偏差値を上げるためには、偏差値の高い人から学ぶしかないと言うことである。やりたいことをやれることにしていくためには自助努力をするしかない、そう言うことだ。

やらないのは単なるサボりで、その不作為の埋め合わせのために他人の書いたものを利用する、なんてねぇ。。。

ま、高校とか大学と違って小学校は退学にはならないけど、こんなズルを当たり前だと思って人生過ごしていったら、虚偽の人生になりまわすなぁ…。個々人の卒業する大学、若しくはその成績で就職していく中で、単位をきちんと自助努力ではなくズルで単位を取る様な話がベースになったら、広い意味で学歴詐称になる訳だから。Academic fraudは絶対にしては行けない話だと日本では中々説明しないよね。。。ICUでは、PaperやらSenior Thesisにおいて、何かしらの文献から書き写したりするようなことがあれば、必ずそれを明記した上で、そのPaperの最後にまとめて文献一覧を載せることを言明された。そうでなければ不正になって、Paperは受理されないばかりか、単位は落とされ、下手すると退学になる。(何語の文脈か知らんけど)カンニングと言う言葉は使われるけど、それが軽い感じで語られているんだよなぁ。日本語で言うカンニングを英語で言えば、チーティング:Cheating。まぁ、教える側が、Cheatingが以下に不正で酷いことかを理解していないから、子供には伝わらないし、そう言う人が大人になっても悪いこととは思えないままになる…。

日本の教育の悪循環なんでしょうなぁ。。。



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