2020年3月はコロナウィルスと言う見えない敵にやられ続けている昨今だが、9年前の2011年3月11日は、見えそうで見えない、怖さしかない大地震に見舞われた日本。
14時46分、奥さんがそのタイミングで帰宅をしてくれたおかげで、オフィスまで迎えに行くと言う必要性はなくなった。が、あの時の教訓としては、家までどうやって帰宅するのか、そのルートの途中でもし拾うとしたらバイクで何処に向かうのか、などを決めた。
生き延びた者として、何か不測の事態が起きた時にそこから生き延びる為に。
地震に限らず、ね。
たまたま東京に居たから、幸いなことに自分の家族には犠牲者は出なかったが、それは自分のことだけに焦点を当てた話と言うだけ。大勢の犠牲者が出たことは間違いない。ただ、自分を含めて犠牲者が出なかっただけで、そのあといつ揺れるか分からない状態で、結構大きめの震度6などの余震が続いて、とても怖い思いを暫くしていたのは事実。正直、思い出しても怖い。。そのあと暫く、実際、揺れているかの如く、、、感覚がおかしくなって、ちょっと精神的におかしくなりそうだったしね。
いつ地震がまた起きるか、分からないから、備えて生きていかねばならないね。
生き延びた以上、守るべきものをきちんと守っていかねばならないですね。
みらんちゃんが産まれたことだしね。
地震大国日本だからこそ、きちんとした心持ちでいないといけないな、と。
守るべき存在が一人増えたからね。
そう、自分の家族だけの話ではない。
お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りします。