MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



基本の役目としては、おいらは夕方に保育園にお迎えに行く。

 

最近は、クラスが上がり、帰り支度は自分たちでしているし、自分のリュックに入れて行き帰りの荷物を運んでいる。故に、お迎えに行く時に何かのバッグを持参する事がなくなって、正直、とても楽に。そう言えば、2階に上がっていく子たちは皆一様にリュックを背負っていた。まだ0歳児、1歳児クラスに居たときは、そう言うスタイルで保育園に通っていることすら気付けてなかったな。時々、余裕を持って子育てしているかな、と自省するけど、今日改めて思ったよ。

 

帰り道、必ず、今日の保育園は楽しかった?と聞いている。

 

楽しくなかったとしたら何かもごもご言うはず、と思っていて。このまま何年も素直にいじめなんかがないままに過ごせるとも限らないし、あったところで親に素直に言える関係性が続くかは、今のうちからちゃんと会話をし続けていても保証は何も無い。しかし、会話をし続けて話をきちんと聞く姿勢を持っていること、何かあったら守るよ、と言い続けることは何か将来の不測の事態に対しての防波堤であったり、守るだけではなく積極的に攻撃することを含めて、子供を守る体制を取っていることを子供に示せるのかなと。

 

だから話すのよ、帰り道に。

 

よくある学校での教師の不備やら知識不足に対して、親サイドがモンペだの言われているけど、逆に考えてみたらまともな教師ばかりとは限らないことにすぐ気付く。特に名古屋市立の学校で育ったせいか、ほぼまともな教師なんぞ居なかったからね。。。親が学校に文句言わせないように内申書至上主義を構築すると言う鬼畜の教育委員会があり、とてつもなく評判悪かったからね。

 

そう言う中で子供が通わないと行けない時に、何かあっても言えなくて不幸な目に遭うなんて絶対にさせないから。

 

仮に何かあった時に、まず適切にfact gatheringする為にも自分の子供からヒアリングする能力、最大限抗弁する能力、場合によっては裁判なんか含めて行動する能力とネットワークをきちんと持ち得た形で、子供の幸福を最大化させることを前提に、教師側をロジックだけで叩きのめすこと、なんら厭わないから。

 

そのためにもまずは子供との対話の素地を作っていかないと、いずれ来る反抗期なんかにも、必ず対話から解決策が生まれることを伝え続けたいのよね。

 

そんなことを考えつつも、今は楽しかったーと言うことを聞きながら、どこに散歩した?とかブロックで何作った?とか聞きながら帰るその帰り道が何より楽しい時間。このお空は何色に見える?って言う会話の答えに、未来を感じますわ。



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