MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



郷に入れば郷に従え、の逆なのかなと思いますが、異国の地で、自国の料理を美味しいと感じるお店を見つけるのは、生き延びるために必要なことなのかな、と。

東京やNYなどは、大体どんな国の料理屋もあるんじゃなかろうかと思う程、色々なお店がありますわな。中でも、東京はホントに色々なお店があると思う。NYなんかは総滞在日数が半年を超えるくらいしかない上に、一定期間長らく住んだ訳ではないので分からないが、それでも結構ある方かな、と。おいらとしては、Milanoに住んでいて、日本食が美味しくて且つReasonableなお店を探すのを最初の頃にやりましたね。色々な友達に聞いたりしてね。たまたま、MBAのスクールの近くにカツ丼がめっぽう美味しい和食のお店があったんで、ちょいちょい行ってました。やっぱりそこに行くと、ホッとするし、美味しいもの食べるとRefreshできるし。London在住時はある意味悲惨で、兎に角高い...。もしくは、回転寿司とかに行くと、とんでもないものが廻っていて、勝手に寿司の概念を変えるんじゃねーよ、って毒ついてたりしてましたね。

その点、中華系の人たちにとっては、ある意味彼らは何処にだって住み着くのでw、比較的選択肢は広いんだろうなぁ、と。

まぁ、そもそも人口が多いので、それだけ食べる人の数が多いと言うね。だからこそ、料理屋が成立しやすい。そんな中でも、中華系の人にとって美味しいと思うお店は全部ではない筈で。。我々日本人だって、Milanoで和食が何軒もあったからひとまず行ってみたものの、安くても美味しくないと思う店には中々寄り付かない訳で。。こう言うのって不思議と連鎖反応が起きるもので、やっぱり美味しくないと思う人が一定以上いると、閑古鳥が鳴く、訳だ。逆に、美味しいと思われれば、たくさん集まる。


今日行ったお店は、両隣、お一人様のお客さんだったけど、右隣の女性も左隣の男性も中国語喋っていたね。


店員も明らかに中国系の人でしたし。いや、ほぼ全員中国語訛りの日本語喋っていたからなぁ。そう言うお店は、彼らにとっても居心地が良いんだろうし、また、味も良いんでしょう。だからこそあれだけの中国系の方が集まるお店になっているんでしょうね。そんな中、日本語は辛うじて通じるし、美味しいし、たまに行きますが、すぐに出てくるのでおいら的には良いお店でございました。

ご馳走様でした。



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