MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



正直言えば、小説は殆ど読まない人生だったかなと。

中学生の頃、いや高校生の頃かなぁ、推理小説にはまってよく読んだ時期もあったし、大学時代は勉強も兼ねて、シドニーシェルダンのような小説を英語でよく読んでいた。社会人になってからも背表紙が硬くない英語小説って持ち歩きに重宝していたので、よく読んでいたな。でも、いつぞやから電車で通勤しなくなったので、小説を読まなくなったかなぁ。


柳広司さん、初めて読みました。

うちのスタッフが読んでいたものをご飯を食べている時に、読みますか?と聞かれたので、はい、と。最近、本をとんと読まなくなりましたから、これは何かのきっかけになるかなと思いまして。また、その彼女が薦めるのであれば読み応えあるであろう、と思いまして。


結果、文体的にかなり好き。

言い回し、時代考証的に古びた形での表現を使ったんだろうけど、この社会的身分の人種の言葉として、とても心地よくスッと入ってきたな。あとは、あれ、あの件は?と言うような伏線の思い出すタイミングを絶妙にコントロールしていて、忘れる前に、頭の中で混乱させない程度に間を開ける。これがかなり良かったね。欲張りすぎて、引っ張りすぎて、何の話だ?となるようなことは一度もなかった。登場人物の濃さが、良い感じで混ざり合っていたな。内容的に、結論が度のタイミングで出るか、ネタバレ的に言えば殺人犯についての結論が、あのタイミングくらいでないと面白くない。そしてそれがこのタイトルに絶妙にマッチしていると言うね。


気に入った点で言えば、恰も、映画マトリックスのような世界観を個人の中に不安として持っている時の表現がとても好き。


現実の中にあるものが、実は何かしら裏側にあり、そこを知っているのは、神のみ、的な、天からの思し召し的な、そう云う非現実性の介在を少しでも疑うような、その、ともすると危ない感覚と言うものは、自分の中にもたまにある。頭の回転が早すぎて追いつかない感じの、これが一体何の実像として目に見えているんだ、と言う疑問を瞬時に解決していかないと、目眩がするような錯覚って、起こり得ると思うんだよね。普通はないのかな?僕は夢なのか、現実の中の見えざる何かの存在が実は、、、的な感覚、かなりあって。自己肯定が強すぎるとそうなるのかも知れないが、、、


あとは、If、If、Ifとその条件が重なり合った時の、その帰結としての今、現実、と言うことへの思いの馳せ方が、これも自分的に似ていた。

この要素、あの要素、その要素、ともしひとつでも欠けていたら、今、目の前で起きていることは起きなかったのではないか、と言うことを考えるのって、かなり実はめんどくさい話だと思うが、こういうことを複数、それも幾何級数的に可能性のある様々なIfを考えられるだけ考えて、それを今に反映し、更に未来の自分の行動の引き金としてそれが正しいものだと、肯定するような確認方法って、とてもコンサル的な感じで、これまたとても似ていた。


この人の本、また読みたくなりました。

ロマンス (文春文庫)
柳 広司
文藝春秋


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