MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



選手として2度、監督として2度のUEFA Champions Leagueの優勝を勝ち取ったカルレット。

現役時代に一番長く所属したのは別に我がMilanではないのだけど、RossonerroのCL二連覇の時のmemberである。母国開催のWorld Cupの時はAzzurriのメンバーとして主力選手だったみたいだけど、正直イタリア代表の時の印象はあまりないのですよね。当然、今と違ってシュッとした出で立ちでどちらかと言えば細身な印象だったよね。

おいらがMilano在住時の我がMilanのAllenatoreであり、物凄く印象深いし、感謝している。

2002-2003と2006-2007の2回、我がMilanで監督として2回Champions Leagueを制覇している。ManchesterでのJuve相手のPK合戦の末の優勝は印象深いね。あとはAthensの時。Pippoのゴールで勝った時だ。懐かしい。もう7年前だね。

ベルルスコーニの横槍、口ハサミが無ければずっとMilanの監督だった可能性も高く、その点とても残念。毎年優勝しなければ監督としてダメ等と言う姿勢はownerとしては間違っていて、どう考えても名将であるCarloを喧嘩別れ的に手放したのは痛いなぁ。10年単位で監督して欲しかったのに。その後ChelseaでもPSGでもCLは獲っておらず久々にBig-ears獲得ですな。

どう言われようがおいらが一番好きなallenatore。

当時のMilanはスーパースター軍団。そんな中、交代含めて出られるのは14人。18人以上はベンチにすら入れない。ミラネッロでの練習後に何故明日はベンチスタートなのか、また何故ベンチ入りしないのか、それぞれのGiocatoreときっちりコミュニケーションしてお互いの信頼関係を構築しながら采配を奮っていた。ここら辺りが名将と呼ばれる所以だろうね。かつて2004年に日本代表で、試合に出られない選手が夜中にキャバクラに行くと言う事件があったが、我がMilanの選手も不満がない訳では無かったと思うがあんな事件は起きようが無かった。監督として、しっかりコミュニケーションを取ると言うのは、サッカー界だけではなくどのような業界でも必要な事だとMilanoのMBAに通っている時学んだ事である。

いつか我がMilanに戻って来て再び采配を奮って欲しいと切に思う次第。ベルルスコーニがownerの間はないと思うし、今Ancelottiに払える能力のあるclubではないから実現は極めて難しいと思うけどさ、、

自身、監督としては3回目のChampions League制覇になりますな。

Carletto おめでとう!


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