MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



非論理性に対しての論理構成、理論武装と言うのはどこまで何をしても、最後はこちら側の精神的落ち着き度と言うのが実は重要だったりするのかな…。

議論の途中で溜め息付きながら、はぁ?とかそう言う言葉って相手をイラつかせるけど、ネゴシエーションプロセスと言う大学のクラスの中で時に優位性を保つためには論理性ばかりではないアプローチもあり、と言うのがあった。相対的にも絶対的にもこちらの落ち着きを保つ上で、時にそう言うこともあり。勿論やりすぎは品格を疑われるし、コミュニケーションの出来ない人って思われるだけだからやらないけどね。まぁ今はクライアント、コンサルと言う関係が多いからおいらは先ずそう言うこと(溜息とか)しないけど。

ただ、自身の独自の論理性とかを実は話せていない人っていて、単に批判だけ出来る人っているんだよね。しかも対案なしに。またよくないことにそれが理屈だと思っていたりする。別に世の中そう言う人がいても良いとは思うんだが、議論の中で他の意見に対しての受容性がなく、精神的安定を欠いている人との話はだからしんどいんだよねぇ。。。

思い込みだけで話されても、ねぇ。人の話に話を被せて違う言葉にパラフレーズするようなことが論理性だともし思っているとしたらヤバい。社会人としてね。

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