MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



NRTからKLへの機内で観た映画です。

松たか子主演の映画です。冒頭から松たか子の演説めいた?ものが延々と続くが内容的に全く知らないまま見始めると何が起きてるんだ、状態。展開的に全く読めず次どうなるんだろうなぁ、と言う感覚ではあるが内容的に全くワクワクするような内容ではないことは間違いない。

と言うかどんよりする内容であることは間違いない…(苦笑)。

良いか悪いかと言えば映画としては良い映画じゃないかなぁ、と思いますな。如何にも映画的。逆に言うとドラマとかではとても表現仕切れないと思う。これ続きものですって連続ドラマとして見たら覚めると思う。一気に映画として見続けてしまうことで、観終わったあとに、うーん、あぁ、えぇ、、、、と色々な感想が出てくるような流れでした。今ひとつの感想しか書けないのはホント、内容的にキャー、スッキリ、ヒューヒューみたいなものは絶対に出てこない…。重たーーーーーーーーーーい内容ですので。

流れ的な話ではなく、あるシーンの中から得た実感としては最近のゆとり教育の中で育てられた中学生ってあんなに動物園の動物ような行動形態取るのか、ってこと。別に軍隊式で教育することと対比すること自体おかしな話だとは思うけども、授業中にあんなに携帯でメールしあったり、席を立ったり、勝手な発言、放言したりって言うことは先ず僕らの頃はなかったなぁ、と。携帯の代わりにメモ書き的なものは回したりして会話的なことはしていましたけど、メールだと一斉同報通信が出来るでしょう。あぁ言ったクラス全員で訳の分からないまるでトランス状態で不規則発言などをし続けたり挙動不審をし続けるシーンって言うのは映画だから強調して描かれていたのか、それとも現実に在り得るのか、正直物凄く不安になった。

我々の頃の中学生活って、授業が始まった一日目にして小学生的な甘い考えは駄目なんだ、って思い直したもんでした。まぁ管理教育で東の千葉、西の名古屋なんて言われていた最も厳しく対処する教師が多いエリアで育ったせいかも知れませんが、完全に高圧的な態度で教師は生徒に挑んでいました。割れた竹刀を切り取ってそこに緑色のビニールテープを巻きつけてムチのように使い、鉄製の教卓の横を授業の合間に少しでも五月蝿いとバスン!っと叩いて黙らせる。そんな国語教師の近○って言う教師とか、全国放送で体罰教師なんて報道された体育教師の川○とか、ドラゴンズが負けると機嫌が悪くなる社会の木○とか。まぁ我々の時代って今時の子供とは多分違って荒れていたからね。教師側もそれ相応の対応をしていたんだと思う。中学3年生の時、一つ下の学年の奴が音楽教師をメッタ殴りして授業中に救急車が来て大騒ぎになったりとか。隣の中学のヤツらと暴力団紛いでバットや手作りの武器ちっくなもの持ち合って集団で喧嘩したりする奴らがいたりとか。そりゃ教師も怖かったんだと思います。

感情に任せて体罰するなんて以ての外だと思うけど、何でもかんでも子供の人権だとか言って何もしないのはどうかと思う。別に殴れなんて言わないけど、野球部の時はエラーしたらケツバットとかでしっかりしろ、こら!って感じで怒られて次はエラーしないぞとか思ったし。まぁ信用していたよね、生徒も教師のことを。そんな滅多なことをされるとは思っていなかったし、「悪い」と思うことの概念が共通化していたと思う。なんで怒られるんだ?と言うようなこと殆どなかった。尤も、矢鱈滅多に校則を生徒手帳に書き連ねて縛るのはどうかと思ったけど、そう言う一律の不合理ではなく個別の叱責には一定の理解があったなぁ。

今回の映画ではそう言ったことを考えさせられた。

こんなことばかりなんだろうか、最近の学校、子供は、、、ガッカリだなぁ。








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