MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



恐らく小学生の頃、奈良に住む従兄弟の兄ちゃんに連れられて京都迄奈良からドライブしたことがある。

京都の大学に通う従兄は色々と京都市内を連れて歩いてくれた。昔から寺社仏閣が好きで、奈良も京都も住みたいと思う程寺や神社が多い。兄ちゃんが通っていた大学とは違うが、立命館の方に行った。多分金閣寺の方に行ったんだろう。金閣寺には修学旅行等で行ったがその時は何となくそっちに行きたいと言ったのだろう。そして金閣寺の近くで何か食べることに。


健ちゃんラーメン好きやんなぁ?


当然うんと答えた。そしたらエエとこあるで、行こか、と。それが天下一品やったんやねぇ。小学校の三年生くらいやったかなぁ。その当時名古屋在住のおいらは自宅で食べるラーメンか、せいぜい月に一度か二度外で食べるくらいで、醤油か味噌ラーメンがあるくらい。あったんやろけど、トンコツラーメンなんぞ食した事もない。そんな時代やったな。間違いなく昭和50年代。1980年代やねぇ。当時から名古屋にもトンコツラーメンはあったかも知れへんけど、おいらは恐らく東京に引っ越した1990年以降にトンコツラーメンを初めて食べたんだと思う。

実際、天下一品、通称天一は何ラーメンなのか、おいらには分からない。

しかし、醤油か味噌ラーメンしか食べたことのない幼いおいらには衝撃的やったんやと思う。なんて美味いもんがあるんや、と。さっきも聞かれたから当時も聞かれたんやと思うのだが、こってり、と言う単語をきっと初めて耳にしたんやろねぇ。当時は分からんかったけど。

さっきは池尻大橋の天一に行ったのだが、浪人時代に河合塾駒場校がある東北沢からわざわざ歩いて池尻大橋の天一迄行ったことがある。今考えると物凄く遠いんだが間違いなく歩いて行った。その時迄スッカリ忘れていたが、19歳のおいらはその時から遡る事10年前の小学生の時の記憶が蘇ったものだ。あ、これだ、京都で食べたラーメンは、と。

甲州街道沿い、環八の交差点の近くにある天一等に大学時代はよく行ったものだ。

しかし、最近はなかなか。奥さんがこってりをあまり好きではないようで、今日も渋々天一へ。炒飯セットはラーメン+半炒飯。しかし、この半炒飯が結構な量でしかも出来ればこってりのラーメンを食べたくない奥さんは炒飯のみを食し、ラーメンはすする程度。つまり、おいらはラーメンをほぼ二杯食したのである。。。。よく考えたらラーメンセットの炒飯を普通盛りにして、おいらはラーメン一杯と少し炒飯をもらう、にすれば良かった、、、かなり食べましたわ。

一年に一回くらい食べたくなるんだよね、天一。

来年迄良いかな、、、(笑)。






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