MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



そう言えば、今年の成人式の子たちは阪神大震災の年に生まれた子たちだと言うニュースを見た。

あれから20年ですか。おいらも大学生でしたが、そりゃあ歳を取る訳です。去年もこの件に付いて書きましたが20年前は学生として勉強していた訳だ。自信を持って言える程、滅茶苦茶勉強に励み、サッカーを一生懸命していた。去年もこのブログのエントリーで書いたとおり、本当に今と通信環境やパーソナルメディアが異なっていた。当時、もし何か有事があっても知る由もなかった。変な話、親が死んでも学内に居たら分からなかったりした訳だ。連絡のしようがないためだ。それ程、外部との連絡や情報などからはほぼ隔絶していた。おいらは20年前の1995年1月17日の夕方にサッカー部の練習中にプレーヤーとぶつかって救急車で運ばれたので周りよりも遅くなったが、普通の学生は授業が終わる夕方以降に帰宅して、そしてテレビを観てからでないと分からない状況だった。中には新聞も取っていなかったり、テレビもない学生が居たりしたし、今のようにパソコンやスマホなどなかったから、本当に外部との情報隔絶状態にある同級生も居たりした。


そう言えば、先日とあるお寺さんで修業をする際、3年ほど完全に外部と隔絶されるので東日本大震災のことを修行が終わるまで知らなかったと言う話を聞いた。今の御時世はそう言ったお坊さん以外にそんなことになる人はまず居ないだろうけども、20年前は当たり前のように情報難民が居た時代だった。

少々話が逸れたが、実際問題として20年が経ったことによって風化していく部分もあったりする訳だ。

昨年末も神戸に行ったのだが、そんな話になった。今は建物や電車、道路で阪神大震災の爪あとがそのまま残っているような場所、頑張って探さない限り先ず見つからない。しかし、奇しくも震災後に入居した住宅からの立ち退き要請が神戸市役所から言われている高齢者の話をここ最近ニュースで見た。明らかに神戸市役所の不手際なのだが、役人がさも当たり前のようにコストを語っている姿がニュースになっており、とても滑稽と言うか、お金を払え、コストが掛かっておるのだ、と言うようなスタンスは思考停止をしている役人の典型パターンのように思えて悲しくなった。世の中の全ての公務員がそうだとは思っていないが、20年も経っているのだから、と言うような口ぶりが垣間見られた。それが残念だったな。

西に向けて手を合わせ、震災で亡くなった方の冥福を祈りたい。






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