おいらがMilanoに移住した時、イタリア語はほぼ読めず頑張って読み方を覚えるところから始めた。
例えばCatagnaと書いて「カターニャ」と呼ぶ。森本が以前所属していたクラブがある地名だ。しかしこれを読み方を知らない日本人の場合には「カタグナ」とか読んでも不思議ではない。だってアルファベット通り読むとそう読めなくないから。〝gna〟のスペルは「ニャ」と読むと言うことなど感覚から分かるようになるのは結構時間が掛かるだろう。音を聞いてそのスペルを読み、法則性を自分自ら発見する能力のある人は少ないと思う。
事程左様に、当該国の国民にとっては当たり前のように読んでいる読み方は外国人にとっては当たり前ではないと思う。
日本に来られた外国人にとっても不思議な呼び方が多いんだと思う。例えば〝浅草〟。通常の読み方は「あさくさ」だ。疑いようがないのだが、これに「寺」が付くと「せんそうじ」となる。感じの表記は全く同じだし、このお寺さんは浅草にある。「あさくさ」にある「せんそうじ」はそのリンケージを確認出来る人が中にはいると思う。漢字表記を読める外国人はそうそういないと思うが、〝浅草〟を「あさくさ」と読む地名に全く同じ表記の文字に寺が加わると「せんそうじ」になるこの不思議さに気付く外国人は中にはいるだろう。
問題はそれを聞かれた場合にきちんと説明できる日本人がいるか、と言うことだと思う。
例えば〝浅草〟を地名としては「あさくさ」と読みお寺さんを「せんそうじ」と読み分けるその理由は浅草寺縁起にも書かれていないそうな。寺の名前は中国から伝来した仏教の習わしで音読みするのが通例だと言う意見もあるようだけど、今奥さんが行っている京都には「きよみずでら」と言う訓読みのお寺もある。〝清水寺〟と書くのであれば「しみずじ」と読んでもおかしくない筈。〝浅草〟のケースで言えばやはり分からないと言う答えが一般的なようで?こう言った同じ漢字を異なった言い回しをするような文化、知的レベルの高さ、奥深さが恐らく外国人には面白いのではないだろうかねぇ。尤も、この手の話を今の学生にしても逆に分からない、と言うことが起きるのではないかと、若干の危惧もある。
とある学生と話した時に日本語の感覚のおかしさにふと疑問に思った次第。サンプルは1なので、今の学生が皆そうであるなんて思っていないけど。。。
さて仕事、仕事…。
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