我が家にもやってきましたね、なんで、なんで攻撃。
此処1、2ヶ月くらいずっとです。でも、全く動じません。すべてのみらんくんの質問に対して、彼が納得するまで、そして何度リピートされても必ず答え切るようにしています。親が答えることを諦めたら、そこで子供は親ってそんなもんか、と思うことでしょう。おいらが思ったように。教師や親は、年齢などが上であることだけを傘に着て、良いから、言うこと聞け、的なことを言いますが、おいらから言わせると、その時点で見切られます。ずっとそうしてきたからね。使えない、質問に答えない奴なんだな、と。特に、小中学校でそう云う傾向が見られました。高校生以上になると反論すると言うことを常態化するのと、逆にそれまでは単に年齢が上と言うだけで高圧的、威圧的に接することで威厳を保とうとしているバカが多いためでしょう。
少なくとも、おいらはみらんくんには絶対そう云うことはしない。
漸く話せるようになってきたみらんくんとのコミュニケーションは、真摯に、正確に、答えを考えて伝えていくことが求められます。たとえ焦るべき事象が起きていたとしても。だから何かのタイミングで仕方なくその会話を途切れさせたとしても、必ずあとから、此方の責任で蒸し返して、あの時の続きだけどね、と伝えるようにしている。そうすることが、責務だと思うし、おいらたちはみらんくんの絶対的な味方で、且つ頼っても良い存在なのだな、と認識してもらえることにつながると思うので。親に相談することが是となるような、少なくとも選択肢として認識されうるためには、親業として、真面目に正しいことを伝え続けていくことが絶対必須だと思う。他の親は知らん。だから比較するつもりもないし、自分なりの賢さ・バカさを親それぞれが認識すれば良いだけの話。尤も、そう云うことを立ち止まって考えるようなことをしないんだろうなとは思うけども、それもそれぞれの親の考え方や能力の問題なんだと思う。
みらんくんに質問されることは寧ろおいらとしては嬉しいと思っているしね。
話していて、最終的に、
そういうことなの?
と彼はよく言うようになった。納得してくれているからなんだと思う。自分なりに質問した事項に対しておいらが答え、それを咀嚼して、なるほど、と思うようになったんだと思う。そう云うことの積み重ねで思考の能力を上げていってもらえればなと思う。
そのあとに待っているのは、この最高の笑顔。
どんな辛いことがあったとて、みらんくんの笑顔があればかなりの確率で一旦その嫌なことを忘れられる。
だからみらんくんとの対話はある意味自分にとっても意味がある。
なんでもかんでもね、ラベルを貼って、「魔の2歳児」なんて言って、全ての子供がいやいやと言うかと言えばそんなことないと思っていて。親がすべきことを日頃から行い、それでも尚且出てきてしまう傾向であれば仕方ないが、彼は親が言うことを真面目に聞いてくれていると思う。だから、癇癪を起こしたとしても、一旦聞いてと言うと聞いてくれることが殆どで。
そして数分後にはこうなる。
みらんくんを裏切ることは自分を裏切ることと同意だと思うので、彼に笑顔で居てもらえるよう、真摯に向き合って答えていくと言うことは絶対に止めたくないなと思うね。