MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



大学生であれば演繹的、帰納的と言う言葉の意味は当然分かる、とは言いませんが演繹的に就活をする危険性があるようだ。

自分の夢や将来に向けて明確なキャリアパスの道筋が既にある学生なら兎も角、今から自己PR考えます、と言う大学生が演繹的に、つまり一般的な情報から自分自身もそこに該当していて大丈夫!だからそのまま進められると思ってしまうのはとても危険だ。何故なら就活するに際して学生が行う作業で一般的な情報なぞ欠片もないからだ。


これ程究極的に自分、あなたならでは、が求められるシーンもないのに一般的な情報から自分自身を規定するなんて敗北宣言だ。


例えば最悪な例。サークルの先輩が通ったエントリーシート、だとか、同じ大学の四年生からの成功体験だとか、正直最も意味はない。人事戦略は経営戦略の一部だが、毎年全く同じことを繰り返している筈がない。状況が変われば採用する学生の質や量を変える。もっと具体的に言えば何処の大学のどの学部から採用するか、も変わる。そう言う意味で同じことが起きる筈がない。経営戦略の一つとして経営者は過去の事例から良い面の再現性を求めてケーススタディを行ったりする訳だが、人事戦略に再現性は有り得ない。


逆にどのように臨機応変にカスタマイズするか、異なる性質を持つ学生のパイの奪い合いな訳だ。


つまり、学生としては一般論に収まるように自らを仕向けることはつまり負けの道を自ら選択しているようなものだ。他の学生と異なり、キラリと光る側面を学生ならではで訴求することが就活で最も求められる要件だ。一般的な理屈をもとにして、その枠組みにいるからその方法論で、とか、は選択肢をドンドン狭めている。また、自分自身を発見しきれていないのに主観のみに居許して自分は一般的に通じるこの言葉で説明しきれば大丈夫、とかは愚の骨頂。去年と同じなのは、100歩譲ってみると大学名が同じ事くらい。しかしそれとて大学名が同じと言うだけの話。

自らの主観のみで、そのサポートを先輩がしていたから、とかしているから内定もらえない訳だ。


そんな就活、今すぐ止めなさい。社会人ですら一人称単数で解決出来ない事は自助努力をしたあとに他人に頼る。タイムフレームがあり、ゴールがあり、提出する書類のクオリティーの規準がある。それをクリアしていける素質が学生にあるかを見ているわけで、先輩のコピーに終始するのが上手な学生等必要な訳無かろう。。。社内ニートにすら為れないね。会社に入れないのだから。


すべきこと考えてから行動すべし。


何して良いか分からないけど周りが始めたから、と言うスタンスでは失敗しますな。御愁傷様。考えられる学生が欲しいのだから。



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