東京に住み始めてから彼此れ26年が経つが、こんな何十回も来たことがあるところで、初めてのものを発見するとは思いも寄らず。
何かと言えば、旧新橋停車場のことである。1872年に鉄道が新橋-横浜間で開通したことは日本史を学んだものならば誰でも知っている事実。「お雇い外国人」と言う言葉もこの時代、幕末から明治期にかけての文明開化の時代を学んだ時に習った用語であるがエドモンド・モレルと言うイギリス人も確か山川の用語集には出ていた気がする。140年以上も前の話ではあるが、建物自体は立派に残っていて、なんだか寧ろ誇らしい感じすらする。詳しくは知らなかったので調べたら、1923年の関東大震災で一度焼失しているらしくそのあと1934に建てられたものらしい。それにしてもそれが80年近く残っているのですなぁ。鉄筋コンクリート製だから、意外と耐久性は脆いのではないかと思うけれども、よく考えたらICUの本館も70年以上経っているので建て替えと言うことらしいから、最早人が執務をするための場所としては不適切なのであろう。だとすると、色々と展示物を設けているが、それ自体は大丈夫なんだろうか、とも思うが、やはり周りに汐留のビル街が立ち並ぶ中で、悠然と建っている旧き建物はなんだか誇らしくもある。
古ければそれで良いと言う訳ではなく、やはりそれそのもののデザイン性も当然ある訳で、その点とても優美な姿をしていると思った。
おいらが生まれた年までそこは汐留駅として機能していたようであるが、その後、辺り一帯は操車場としての機能も終え、払い下げられた後に再開発が為されたようである。まぁ、それも時代の流れなのでしょう。そこから明治天皇の乗った汽車が横浜に向かって走りだした起点の場所だということは、やはり後世にきっちりと残しておかねばならないものだと思った。ビル街の中で一際背丈の小さな旧き建物がビル街を借景として佇んでいたのがなんともタイムトラベル的な感じがしたが、この風景はちょうど6月に行ったSingaporeの街並みと若干似ている気がした。
誰もそんなこと気にも留めず、当たり前の風景だと思っている人も多いだろうけど、なんとなく、忘れてはいけない時代の遺構なのかなと言う気がした。