MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



2002年に封切りとなったトムクルーズ主演の映画。

あの時代、つまり17年前からすると、もう、2054年にはあんなことになっているのか?と思うような未来の世界だったけど、今から観ても未来だったな、、、。いや、17年も経っていると言う意味では、今のこの状況が残念と言えば残念。殆どのことがあんまり実現に近付いていない気がするからね。あの当時の感動的な感情は17年分進化していて欲しかったんだけどなぁ。いや、その点、2054年と言う設定はある意味そこまでいかないと現実化されないと言うことなのかも知れないね。車の自動運転なんかは、あの方向性にはいかないかも知れないしなぁ。その他、映像の投影の仕方とか…。いや、VRとかに関しては徐々に来ているのかな。


当時、話題になったのは目の虹彩を読み取っての、One to one marketing。


これについては、医学上、科学上、法的にも成立はしないだろうなぁ。あんな世界観を当時のAmericaは想定していたと言うことは、やっぱりあの国ではそう言うことをクリアしようとする動きがあると言うことか。文字にはしないけど、色々と管理しないと不味いような人種構成やら教育格差などがあるんだろうな、と。そもそもジョージ・オーウェルの1984年に出てくるビッグブラザーの概念なんかがあの時代に出てきている事自体、管理しようとしている動きの現れだった訳で、その点2002年になって更にその程度は進化しているのかも知れない。

日本でも、度々、人の動きをトラッキングする仕組みと言うのは映画などで描かれていて、実際、テロ対策と言う名のもとに、警察の中ではやっているだろうねぇ。


例えばLondonを一日市内を歩いていて、監視カメラに一度も映らずに歩き切るなんて言うこと、絶対に有り得ないと言われているくらい市内にカメラがあるからね。人権感覚なんて言うものは幻想とは言わないまでも、比較衡量と言う観点から言うと、プライオリティを低く設定されているのは間違いない。AmericaにしてもUKにしても、大都市部にはホント、誰が住んでいるか分からないことの不安が相当問題になることが多いんだと思う。


そう言う不安を払拭する代わりに、犯罪余地によって犯してもいない犯罪で逮捕されることをトレードオフにしている世界観の映画と言うのは、現代においても問題として提起されそうだな。


ただ、現実問題としては、未来予知が今後成立すると言うことはないだろうね。罪刑法定主義と言うのは社会科学の概念であり、予知などと言う非科学的な概念とは完全に相対する。その点、この世界観が現実化されることはないんだけど、それでも、このOne to Oneの世界観は、虹彩ではない形で実現するのは間違いない。絶対実現するね。それはスマホでも、スマートウォッチでもなく、もっとユニークネスを担保するものでね。でも、個人的には虹彩ではないと思っている。それが何なのか、今の所分からないけどね。


あ、映画としては久々に観たけど、トムクルーズだな、って。

良いと思いますw。

マイノリティ・リポート (字幕版)
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