MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



再生不良性貧血で亡くなったおばあちゃんは、その病が発覚するまでは至って普通の食生活をしていた。

年末にゴルフのあとに立ち寄った時は、叔母の家で鍋をご馳走になったが、おばあちゃんも当たり前の様に食べていた。造血が出来なくなり1月いっぱいと聞いたのは年明けであった。すると、あれだけ食べていたおばあちゃんが嘘のように食べられなくなって行ってた。年明け二週目くらいはまだ食べていたし、普通に会話していたのだけど、あっと言う間に寝たきりになった。それでも毎日一緒ではなかったから、いつまできっちりと食べていたかは実は知らない。恐らく、外食した最後は年明けではないと思われるが、本当に何でも食べるおばあちゃんが最後に、外でご飯を食べたのが三十五日法要のあとに行ったItalianのお店であったようだ。

事細かに調べた訳では無いが、95歳の高齢者が焼肉やらトンカツやらItalianを普通に好んで食べると言う事はあまり無いのではないかと思う。

しかし、おいらのおばあちゃんはそう言う物がこちらがびっくりする程の量を食べていた。1度だけ、2人で焼肉を食べたことがあるが、おいらの3分の1程の量を食べていた。去年だか一昨年の話である。やっぱり食べていると長生きするものですな。うちの親よりもはるかに食べる。ワガママ言わなかったし、好き嫌いもない。おいらは一時期から外食をする様になり、世の中の食事はこんなに美味しい物なのだなとびっくりしたことがある。健康バカにも程があるが、玄米やら胚芽米やらを自宅で食べさせられていた時は、自分だけにしろ!とこちらは途中から見捨てたが、それとはっきり言って味付けが好みではなかった。そんな実家の食事も、来た時には文句も言わず食べていた。おばあちゃん、偉いなぁって思ったからね。それもいつも自分は遠慮して節度ある行動をしようとしていた。食事面での作法もとても丁寧でね。

やはり育ちと言うのは食事面で出るのだなぁ、とおばあちゃんを見ていて思ったなぁ。

 

同じメニューではなかったと思うけど、あさりとブロッコリーと菜の花のpastaをこの日は食べた。おばあちゃんなら、なんて言ったかな。

そして、豚肉をビールで煮込んだと説明された。これだって、おばあちゃんはきっとパクパク食べたね!お肉、大好きだったからねぇ、おばあちゃん。

最後はガトーショコラにアイスクリーム。

きっとね、これだっておばあちゃんは『美味しいねぇ。健ちゃん食べるかい?』ってね、聞いてくれるんだよ。ホントは自分でも食べられる時から、おいらがいっぱい食べると思ってくれててね。なんでも最後に『あなたがお食べなさい』、って言ってくれたね。

おばあちゃん、大好きだよ。

ずっとずっと忘れない。

こうやって法要の時に集まる以外にもおいらの心の中にはずっと生き続けるからね。

ありがとう、おばあちゃん。



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