丁度、Londonから本帰国した年であったか。
2005年にGallery Fakeの連載が終わり、単行本の最終巻が出たのを悲しく見届けた。特に藤田が死んだ訳でもなく、サラがQ国に帰国してしまって帰らないとかでもなく、モナ・リザのモチーフの話しで藤田のこだわりの話で締め括られただけであった。
ところで、細野不二彦は正直たまにデッサン力を疑うような挿絵を描く。
ホントに漫画家?と思しき車を画面の端っこの方で描いたりするので、目立たないのだがビックリする程幼稚な絵がちょこんとあったりする。でも、それは本質的な価値を毀損するものではなく、寧ろ一服の清涼剤として清々しい迄の気持ちになれる程である。
今まで、GU-GUガンモとかの時代はいざ知らず、うにばーしてぃBOYS、りざべーしょんプリーズ、BLOW UP! など、80年代から読んでおり、自分的には偉大だと思う漫画家で追い続けている。その後も、ダブル・フェイス、電波の城、闇の乱破などの単行本も買い、ずっと、読み続けている漫画家である。
その中でも、ギャラリーフェイクは至極の作品で、自分的には浦沢直樹のMASTERキートンやパイナップルアーミーと同等の価値を見い出している。
ギャラリーフェイクの、その世界観に同調することの気持ち良さがあるばかりか、そこから学び取れるエトス、知識が半端無い。更に言えば、ギャラリーフェイクは藤田の内面の素描が読者側にのみ伝わる構図で、ツンデレにされている三田村小夜子がやや彼の心持ちに気付いている程度と言うのが気持ち良かったりする。たまにサラにのみ、見せる疲れた顔がこの漫画の緊張感を和らげていて更に気持ち良くなるのである。あれから11年も経ったが、今でも我が家には鎮座在しまし、丁寧に本棚に置かれている。
今日馬事公苑のTSUTAYAに行ったら新刊が置いてあり、心底嬉しくなった。
今まで寝ていただけですよ、とでも言わんばかりに装丁も以前と全く同じで、変にリニューアルした単行本のデザインとかではなく、当たり前の様にちょいインターバルは長いけど普通に何事も無かったかの如く続いていた33巻として平積みされていた。
嬉しい限り。
喜ばしや。
帰宅後サッと読み切った。blankなどない。そこにはまたギャラリーフェイクの世界観があった。本質を見極め、手を抜かず、妥協なんて真っ平御免のスタンスで、持っている知識を最大限活かすあの藤田玲司が帰ってきた。
嬉しい限り。
喜ばしや。