小田御崎砦
桑名市西外面
城主 梅戸高資
長島の西の守備砦 天正2年落城
長島町西外面地区の小田江神崎神社の由緒書きには、この地に小田御崎砦があったとされている
一向一揆衆は長島城を中心として、以下の城砦14ヶ所を築き対抗したとされている。
梅戸高資 天正2年(1574)長嶋一揆に、服部友貞の族として宗徒数百人を率いて小田御崎砦を守備したが、信長の将軍丹羽五郎左衛門に攻略され落城した。その一部は対岸の中江砦に落ち延びたが、ここも攻め落とされたという
桑名市西外面
城主 梅戸高資
長島の西の守備砦 天正2年落城
長島町西外面地区の小田江神崎神社の由緒書きには、この地に小田御崎砦があったとされている
一向一揆衆は長島城を中心として、以下の城砦14ヶ所を築き対抗したとされている。
梅戸高資 天正2年(1574)長嶋一揆に、服部友貞の族として宗徒数百人を率いて小田御崎砦を守備したが、信長の将軍丹羽五郎左衛門に攻略され落城した。その一部は対岸の中江砦に落ち延びたが、ここも攻め落とされたという
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