丸山城跡
2006-11-22 | 城
丸山城跡
住所 伊賀市(上野市)下神戸字坂田1507
築城 北畠信雄・滝川雄利
頂上に大きな丸山城跡の碑があり、四等三角点がある、木津川沿い
天守台、櫓台、土塁、堀切、出丸、碑が残る
天正6年(1578)、伊賀平定の機会を伺っていた北畠信雄(信長の次男)が築城した。丸山築城を知った伊賀の土豪たちは驚き、木津川を挟んだ神戸の天童山に立て篭もって丸山城を攻めた。築城していた重臣・滝川雄利は不意を衝かれ伊勢へ敗走した。
伊賀大乱の動機となり、伊賀の形勢を一変させた因縁を持つ中世の山城
山の神祠(廃業した歯科医院から山道を登ったところにある)
天守台の片隅には四等三角点があります!
空堀を見て北側の登城口へ(壊れた鳥居がありました)
住所 伊賀市(上野市)下神戸字坂田1507
築城 北畠信雄・滝川雄利
頂上に大きな丸山城跡の碑があり、四等三角点がある、木津川沿い
天守台、櫓台、土塁、堀切、出丸、碑が残る
天正6年(1578)、伊賀平定の機会を伺っていた北畠信雄(信長の次男)が築城した。丸山築城を知った伊賀の土豪たちは驚き、木津川を挟んだ神戸の天童山に立て篭もって丸山城を攻めた。築城していた重臣・滝川雄利は不意を衝かれ伊勢へ敗走した。
伊賀大乱の動機となり、伊賀の形勢を一変させた因縁を持つ中世の山城
山の神祠(廃業した歯科医院から山道を登ったところにある)
天守台の片隅には四等三角点があります!
空堀を見て北側の登城口へ(壊れた鳥居がありました)
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