篠脇城跡
2017-06-24 | 城
登城口!
美濃・篠脇城跡(郡上城)
岐阜県郡上市大和町
築城 東氏村
この地域一帯を支配していた東氏が8代・約230年間にわたって居城とした。栗巣川左岸の標高約523mの篠脇山山頂にあり、曲輪、土塁、堀、碑の遺構が残る
岐阜県指定史跡になっていて北側の麓には東氏館跡庭園がある、
1540年(天文9年)に越前国から朝倉氏が来攻したが、城主・東常慶の指揮の下、放射状竪堀から巨石を投下し、撃退したといわれている。これによって城自体が破損、修復せず、
の赤谷山に築城して移転し、篠脇城は廃城となった。城郭を囲む放射線状の30本余の竪堀がこの城の特徴である。
後に遠藤氏が東氏の後を継ぎ、郡上八幡城を本拠としている。
篠脇山三十三観音をながめつつ、本丸を目指す!
左側に主郭があります!
本丸へ!
本丸!
東氏館跡庭園と篠脇城を見上げる!
美濃・篠脇城跡(郡上城)
岐阜県郡上市大和町
築城 東氏村
この地域一帯を支配していた東氏が8代・約230年間にわたって居城とした。栗巣川左岸の標高約523mの篠脇山山頂にあり、曲輪、土塁、堀、碑の遺構が残る
岐阜県指定史跡になっていて北側の麓には東氏館跡庭園がある、
1540年(天文9年)に越前国から朝倉氏が来攻したが、城主・東常慶の指揮の下、放射状竪堀から巨石を投下し、撃退したといわれている。これによって城自体が破損、修復せず、
の赤谷山に築城して移転し、篠脇城は廃城となった。城郭を囲む放射線状の30本余の竪堀がこの城の特徴である。
後に遠藤氏が東氏の後を継ぎ、郡上八幡城を本拠としている。
篠脇山三十三観音をながめつつ、本丸を目指す!
左側に主郭があります!
本丸へ!
本丸!
東氏館跡庭園と篠脇城を見上げる!
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