思い出のメモ

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日永城跡

2006-02-06 | 
日永城跡
大字日永字登城山(大字日永)
城主 日永楯三郎
天白川右岸の泊丘陵東端部に位置する、登城山付近
標高64.3mの尾根幅の狭い丘陵で遺構は認められない
登城山の東方で天白川と鉄砲川の間に南北にのびた丘陵地で城の立地に適する
住宅化進む
登城山は旗振山である
1204(元久元)年 「三日平氏の乱」にかかわり登場する城郭
一時的な砦のような城
東海道ができるまで、登城山の麓から東は海で、日永村の人は登城山の中腹に住んでいた
大宮神明社、大誓院、興生寺、日永神社、実蓮寺、観音寺が山裾に建っていた
登城山には鎌倉時代に日永城があった
太平洋戦争までは山に沢山のみかん畑や梅林があり、梅見客でにぎわった。
南部丘陵公園横の日永冒険の森の中にある、日永病院、南高校付近にあったものと思われる
尾根は急峻な崖で要塞として最適、天白川と周辺に堀があったと思われる

南部丘陵公園からの登城山入り口(昔のように梅園ができている)


登城山から南高校に続く尾根


登城山の説明板



南高校近くの鉄塔下にある愛宕神社史跡の碑




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